2日、音楽仲間のヒデさんが亡くなった。
ヒデさんは、秋田市のベテランポップバンド「チアーズ」の中心として活動してきたギタリストでした。
僕は、私生活などの深い付き合いは無かったものの、数多くのライヴで顔を合わせ、打ち上げで席を一緒にしてきました。
最初の個人的な出会いは、2007年《かがり火よさこい 前夜祭》での「セリオン特設野外ステージ」でした。
リードギターの高校生松本君が、授業を終えてくることになっていたのですが、リハーサルの時間になってしまい、急遽リハを待っていたヒデさんにアドリブでリハのギターをお願いしたのが、初めて話をした記念日です。
最後に会ったのは、9月20日のトワイライト・リレー・コンサート最終日のチアーズの演奏でした。亡くなる10日ほど前の全力を出し切った演奏でした。
僕は、直後の友人のFBのコメントに「チアーズからミュージシャン・シップを勉強させてもらいました」とコメントしました。
僕は、通夜の3日は五十一ライヴのオープニングだったので、亡きヒデさんと亡妻に唄うことで哀悼の意を表しました。
今の僕には「唄うだけ」しかないのです。
ヒデさん、俺は君を忘れない!
ヒデさんは、秋田市のベテランポップバンド「チアーズ」の中心として活動してきたギタリストでした。
僕は、私生活などの深い付き合いは無かったものの、数多くのライヴで顔を合わせ、打ち上げで席を一緒にしてきました。
最初の個人的な出会いは、2007年《かがり火よさこい 前夜祭》での「セリオン特設野外ステージ」でした。
リードギターの高校生松本君が、授業を終えてくることになっていたのですが、リハーサルの時間になってしまい、急遽リハを待っていたヒデさんにアドリブでリハのギターをお願いしたのが、初めて話をした記念日です。
最後に会ったのは、9月20日のトワイライト・リレー・コンサート最終日のチアーズの演奏でした。亡くなる10日ほど前の全力を出し切った演奏でした。
僕は、直後の友人のFBのコメントに「チアーズからミュージシャン・シップを勉強させてもらいました」とコメントしました。
僕は、通夜の3日は五十一ライヴのオープニングだったので、亡きヒデさんと亡妻に唄うことで哀悼の意を表しました。
今の僕には「唄うだけ」しかないのです。
ヒデさん、俺は君を忘れない!