閉館が決まった前進座劇場のファイナル公演に出掛ける。出し物は、河竹黙阿弥の『三人吉三巴白浪』。このところ、歌舞伎がマイブーム(©春口祐子)なんです。
前進座は台所事情がラクではないと見えて、松竹系の舞台に比べると書割なんかかなり見劣りするが、役者の力量では引けをとらない。いや、一部の突出した才能にその他大勢がぶら下がる構図の多い松竹系とは異なり、脇役の水準が隅々まで揃っている点、勝っているとも言える。レパートリー劇団の強みだ。
それに、ここの歌舞伎上演は常に演出が入って感覚的に近代化するよう努めており、だから伝統遵守一点張りの舞台のように間延びすることが、あんまりない。この年明けのファイナル公演も、きびきびしたテンポが心地よかった。
それにしても、幕末の黙阿弥って人は随分と面白いドラマを書いたんだねえ。主役の一人、お嬢吉三は捨て子から歌舞伎の一座に拾われて女形になり、女装で強盗を働く。裏声から地声まで、状況に応じて声色を使い分ける。女の振りが、何かの拍子に思わず男声になってしまうところが可笑しい。
これを演じた河原崎国太郎は裏声を使うとき、いかにも女らしい女声ではなく、本来男である女形が出すはずの女の声、を出す。黄色い響きだが、ザラッと荒れたところのある声である。初登場のシーンでお嬢吉三は、娼婦のおとせのカネを強奪する。このとき、この声によって役上の女形と女とのコントラストがくっきり際立つ。これは明らかに計算して出している声であり、怖ろしいほどの芸である。
この役をはじめ、登場人物はどれも悪党であり、同時に正義漢である。一番の善人に見える娼婦宿の主も、ドラマの発端の悪事を働いた盗賊の過去を持つ。
そういう重層的な性格のキャラが予定調和を裏切る形で、どんどんあらぬ方向へドラマを引っ張っていく。驚いたことに、日本人が生理的に嫌う近親相姦のエピソードまで出てくる。兄妹が畜生道に落ちたってんで、断末魔に犬の真似を始めるんだから、あんぐり口が開いてしまう。若く美しい恋人たちも、ここではいつまでも清らかな善玉ではおられんのです。これはもう作者が筆の赴くまま、サディズムまでも満たすべく書きつけたようなドラマですな。
先人がこれだけ面白いドラマを書きまくってしまったんだもん、明治以降の劇作家が四苦八苦したのも無理ないよなあ。新派新劇ってのは、ホントつまらん。
前進座が自前の劇場を失ってしまったのは残念だが、今後も水準を落とすことなく活動を続けてほしいものだ。