亡くなっちゃったね。享年85だそうだから、まあトシに不足はないが。
彼女の全盛期の50年代初め、日本の洋楽シーンはほぼアメリカン・ポップス一色だった。パティのほかドリス・デイ、ダイナ・ショア、ジョー・スタッフォードといった女性シンガーの人気がとりわけ高く、デビューしたばかりの江利チエミや雪村いづみが一所懸命コピーしていた。ひばりの「上海」も、デイのデッド・コピーだ。
中でもパティは、スロー・バラードのうまさで際立っていた。"I went to your wedding" とか "You belong to me" とか、声を張り上げたり技巧を誇示したりせず、サラリとメロディを流して匂うような甘さを漂わせる上品な歌手だった。
故・中村とうよう氏は、アメリカでは不遇だった、とどこかに書いていたが、とんでもない、ビルボードで全米No. 1になった曲が幾つもある。もっとも、アメリカでヒットしたのは「テネシー・ワルツ」「ワンワン・ワルツ」「オールド・ケープ・コッド」等々、オレのあんまり好きじゃない曲だけど。
ともあれ50年代までは、ロックもベトナムも知らなかったころまでは、アメリカにもこういう優雅な歌を愛する余裕があった。パティ・ペイジとは、アメリカ社会がもっとも安定して幸せだった時代を象徴する歌手、と言っていいだろう。
彼女の全盛期の50年代初め、日本の洋楽シーンはほぼアメリカン・ポップス一色だった。パティのほかドリス・デイ、ダイナ・ショア、ジョー・スタッフォードといった女性シンガーの人気がとりわけ高く、デビューしたばかりの江利チエミや雪村いづみが一所懸命コピーしていた。ひばりの「上海」も、デイのデッド・コピーだ。
中でもパティは、スロー・バラードのうまさで際立っていた。"I went to your wedding" とか "You belong to me" とか、声を張り上げたり技巧を誇示したりせず、サラリとメロディを流して匂うような甘さを漂わせる上品な歌手だった。
故・中村とうよう氏は、アメリカでは不遇だった、とどこかに書いていたが、とんでもない、ビルボードで全米No. 1になった曲が幾つもある。もっとも、アメリカでヒットしたのは「テネシー・ワルツ」「ワンワン・ワルツ」「オールド・ケープ・コッド」等々、オレのあんまり好きじゃない曲だけど。
ともあれ50年代までは、ロックもベトナムも知らなかったころまでは、アメリカにもこういう優雅な歌を愛する余裕があった。パティ・ペイジとは、アメリカ社会がもっとも安定して幸せだった時代を象徴する歌手、と言っていいだろう。