
「夏子」と「宏子」は横浜のホテルの一室で、女装に夢中です。
2人のフェティズムは、夏子はハイヒール、宏子はストッキングのようです。
「ほんとう?」
宏子、は訊いている。
「本当よ、あたし、あなたと、レスビアンしたくなったわ」
詫摩夏彦は云っている。
彼の今日の自慢は、十二センチのハイヒールだ。
ふつう、ハイヒールと云うのは、せいぜい三寸である。高さ十センチだ。
しかし今日、詫摩が履いているのは、四寸のヒールであった。
むろん、底も厚くなっている。
小柄な彼には、背を高くみせようと云う意識があって男性の服装をしている時でも、短靴の腫を高くしている。
そして彼は、次第に、ヒールを高くすることに、喜びを得て行ったのだと云う。
背の低い男が、小道具の助けを借りて、背丈を高くする。
相手を見下すようになれる。
これは不思議な感情であるが、一種の優越感に繋がるものなのであった。
「ねえ、見て!」
詫摩は、パンタロンの裾をめくって、木島宏に云った。
「綺麗でしょ、この靴……」
「うん、素適だよ、とっても――」
と、木島は答える。
「ある女優さんがね……」
「うん」
「誂えたんだけど、気に入らないからって、置いて行んたんだって」
「ふーん……」
「それを、安く譲り受けたの」
「じゃア、彼女は一度も、足を通してないわけ?」
「そりゃア通したわよ」
「ヘーえ、そうなの」
「だけど、色が気に喰わないんだってさ」
「ふーん、そう」
「自分で、デザインしておきながら、あまりに身勝手じゃない?」
「それは、そうね」
木島宏は、肉色のパンティ・ストッキングを穿きはじめた。
彼は、ストッキングを穿いた時、はじめて自分が女に変身したと云う実感を昧わうのだった。
しなやかな、ナイロンの感触。
爪先だとか、腫などのシームの汚れ。
肉色に、すっぽり蔽ってしまうパンストの魔力。
〈ああ、女になれるんだわ〉
と、彼は思う。
木島は、その時、すべてのことを、忘れていた。
三星商事が、危機にさらされていることも、そして自分の妻が、不貞を働いていることも。
そこには、男でありながら、女の服装をして、アベックで横浜を散歩することに、ワクワクしている不可思議な姿があったのだ……。
『血と油と運河』(梶山季之著)から
>肉色に、すっぽり蔽ってしまうパンストの魔力。
>〈ああ、女になれるんだわ〉
>と、彼は思う。
うーん、いい表現ですね。
梶山季之先生の取材力は文壇でも定評がありました。
こんなセリフをかけるのですから、かなり取材されていますね。