木島宏の頭の中には「女になる」ことしかありません。
女装の快感には何も勝てないのです。
電話での打ち合わせを済ませ、木島はスーツケースを出すと、洋服ダンスの抽出しの鍵をあけた。
そこには、女装のための小道具が、一揃い以上も納われてある。
自分で買い求めた品もあったし、決死の覚悟で盗んだ物もあった。
〈今日は、なにか起りそうだぞ? きっと愉しい日曜日になることだろう……〉
彼は、そう考えて、ちょっぴり口笛でも吹きたくなった。
*
横浜の港の夜景は、すばらしい。
しかし、それは夜にならなければ、見えないのである。
「ねえ。あなたって、素適よ」
詫摩夏彦は云った。
ホテルの部屋である。
「そう。嬉しいわ」
木島宏は、化粧をしながら、ニコリとして振り返る。
まるで年増芸者のような、凄艶さであった。目が、牛ラキラ濡れて輝いている。
「あたし、あなたの、そんなところって、大好き!」
夏子、は云った。
「そんな、ところって?」
「鏡の前で、考え込みながら、化粧している時……」
「だって、服に合わせて、化粧しようと思ってんだもの、仕方ないでしょ」
「それは、そうだけど」
「でも、今日……外出するの、なにか気が進まないわ」
二人は、一緒になると、女言葉である。
そんな言葉遣いをするのが、逆に二人の性感を昂めている感じであった。
「あら、いやねエー」
夏彦は云った。
彼はパンタロン姿である。化粧も手軽だし、男性的だ。
しかし、宏子の方は、そうはゆかなかった。
なにからなにまで、女だ。
化粧、カツラ、下着など、すべて女であったのである。女性に、なり切るのだ。
「化粧……こんなところかしら?」
木島宏は云った。
顔の皮膚は、白く塗られている。
唇は毒々しいまでに、赤い。
付け腿毛は、舞台の踊子みたいに、長くカールしていた。
アイ・シャドウは青く、頬紅はピンク色である。
「とっても、美しくってよ、宏子」
夏子、は云った。
『血と油と運河』(梶山季之著)
女装の快感には何も勝てないのです。
電話での打ち合わせを済ませ、木島はスーツケースを出すと、洋服ダンスの抽出しの鍵をあけた。
そこには、女装のための小道具が、一揃い以上も納われてある。
自分で買い求めた品もあったし、決死の覚悟で盗んだ物もあった。
〈今日は、なにか起りそうだぞ? きっと愉しい日曜日になることだろう……〉
彼は、そう考えて、ちょっぴり口笛でも吹きたくなった。
*
横浜の港の夜景は、すばらしい。
しかし、それは夜にならなければ、見えないのである。
「ねえ。あなたって、素適よ」
詫摩夏彦は云った。
ホテルの部屋である。
「そう。嬉しいわ」
木島宏は、化粧をしながら、ニコリとして振り返る。
まるで年増芸者のような、凄艶さであった。目が、牛ラキラ濡れて輝いている。
「あたし、あなたの、そんなところって、大好き!」
夏子、は云った。
「そんな、ところって?」
「鏡の前で、考え込みながら、化粧している時……」
「だって、服に合わせて、化粧しようと思ってんだもの、仕方ないでしょ」
「それは、そうだけど」
「でも、今日……外出するの、なにか気が進まないわ」
二人は、一緒になると、女言葉である。
そんな言葉遣いをするのが、逆に二人の性感を昂めている感じであった。
「あら、いやねエー」
夏彦は云った。
彼はパンタロン姿である。化粧も手軽だし、男性的だ。
しかし、宏子の方は、そうはゆかなかった。
なにからなにまで、女だ。
化粧、カツラ、下着など、すべて女であったのである。女性に、なり切るのだ。
「化粧……こんなところかしら?」
木島宏は云った。
顔の皮膚は、白く塗られている。
唇は毒々しいまでに、赤い。
付け腿毛は、舞台の踊子みたいに、長くカールしていた。
アイ・シャドウは青く、頬紅はピンク色である。
「とっても、美しくってよ、宏子」
夏子、は云った。
『血と油と運河』(梶山季之著)