昨日、北野天満宮から地蔵院まで北野といわれる地域を歩きました。
今日は職場でその話をしていて、さて『北野』というのは、どこからどこまでを指すのかということが話題になりました。
『北野』と聞いて、一番に浮かぶのは「北野天満宮」です。
その次に浮かぶのは「北野白梅町」です。。。
そんなことを考えながら、スマホで調べてみました。
もともとは、平安京の内裏の北の方にある野という意味だったらしいです。
現在では、やはり北野天満宮周辺や北野白梅町周辺のことをいわゆる『北野』と呼ぶようです。
付け加えて、京都には七野といわれる地域があって、「内野」「北野」「平野」「上野」「紫野」「蓮台野」「点野」と言われていることもわかりました。
そうなんですね。。。
内野は内裏があった場所ですね。
平野は平野神社があるあたりでしょう。
紫野は大徳寺があるあたり・・・、紫式部のお墓もありますね。
歩いているだけでも、面白いことが発見できるものですね。。。
北野天満宮の向かいに粟餅のお店がありました。
門前菓子で有名ですね。
少し離れたところに、同じく長五郎餅のお店もありました。
秀吉がおいしいとほめたという話が有名ですね。
歌舞伎の発祥の地といえば、四条河原の南座前と思っていましたが、北野天満宮でも秀吉の前で歌舞伎を披露したらしいですね。
この話も、宮本武蔵の決闘の地といえば、一乗寺下り松ではないのか???ちょっとわからなくなってきました。
いろんな説があって、ややこしいです。
そんな北野の商店街をうろうろし、白梅町の方へ向かいました。
白梅町へ行く途中に大将軍八神社がありました。
平安京が作られたときに、都を守る神社として、いくつもの大将軍社が作られたそうです。
都の北西に作られたのが、この大将軍八神社でした。
方除・厄除けの神様として、知られていて、陰陽道ともかかわりがあるそうです。
その関係で、天体や天文にかかわる神社ともされて、江戸時代の天球儀なども寺宝として残されているそうです。
「天地明察」という映画で、知られる渋川春海(安井算哲)とのゆかりもあるそうです。
『北野』を歩くだけで、そんなことにも思いを寄せることができて、なかなか楽しい京都散歩となりました。
この後、先日、「帰れマンデー」というテレビで紹介された「椿寺」(地蔵院)へと向かいました。
その話は、また次回に書くことにします。