かんりにんのひとりごと

日々の出来事や季節を感じる野鳥や花々の写真を載せています!
お出かけ先の寺院や趣味の卓球についても書いています!!

京の節分祭を歩く(吉田神社~)

2025-02-01 | 観光・旅行・京都検定

今日は卓球の試合の日でした。

団体戦で、調子よく勝ち進み、最後の最後で、一敗してしまって、残念ながらの二位となりました。

惜しかったです。。。

決して勝てない相手ではなかったのに・・・。

また来週から練習に励みます。

さて、試合が早く終わったので、帰りに節分祭で賑わっている京都の吉田神社へ寄りました。

この吉田神社というのは、京都でも有名な節分祭があります。

恥ずかしながら、今まで一度も行ったことがなかったので、近くで車から降ろしてもらいました。

試合帰りの卓球の服装のまま、吉田山を歩きました。

するといきなり・・・。

鬼たちが登場でした。

皆さんが、撮影しているので、まったく近づくことができない状態でした。

さすがに吉田神社はすごいです。

本殿の前は人が多くて、なかなか近づけませんでした。

節分の火炉祭も盛大に行われるようです。

明日は来れないので、今日のうちに拝んでおきました。

境内に菓祖神社というお菓子の神社がありました。

お菓子と豆茶の振る舞いがあって、いただいて一息つきました。

このほかにも大元宮や山蔭神社、宗忠神社にも立ち寄って、お参りしてきました。

帰り道でも、あちこちの神社で節分祭が行われていて、京都の町は節分一色という感じでした。

ちょうど、帰り道にあった須賀神社で、懸想文〈けそうぶみ〉売りを見かけました。

懸想文というのは、昔のラブレターで、江戸時代くらいになると、恋文に似せて縁起の良い言葉を書いて売られるようになったそうです。

そして、懸想文を家に置いておくと、姿かたちがよくなるとか、良縁に恵まれるとか言われるようになったそうです。

面白い風習ですね。

卓球の疲れもありましたが、節分の盛り上がりに、テンションが上がって、元気に家に帰ってきました。

明日は、我が家でも豆まきをしないといけません。

吉田神社節分祭2025年2月1日~3日(鬼やらい神事)露店

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京都ガイド

  

 

 


納得の63点

2025-01-27 | 観光・旅行・京都検定

今日は昨年に受験した『京都検定』の採点結果が送られてきました。

見なくても結果は分かっていたので、見たくなかったのですが、内容を確認しないといけないので、一応見ることにしました。


自己採点をして、自分の得点はだいたいわかっていたのですが、1級は記述問題があって、文章で説明したことが何点もらえるのか分からない部分がありました。

だいたい60点代のはずでした。

封筒を開けてみると、、、。

うーん、63点。

そうですかー!

なかなか現実は厳しいものです。

合格率が2.7%で、884人が受験して、合格者が24人だけということでしたので、まあ仕方がないと諦めることにしました。

平均点が書かれていましたが、なんと。

57点、、、。

勝ったー!

いやいや、平均点を上回っても、全く意味がないのですが、なんとなく嬉しいのはなぜなんでしょう。

何せ、昨年の始めに1級の過去問題をやったた時には5点しか取れなかったのですから、ここまでこれたのは、それはそれで前進だと思います。 

まだまだ、ゴールには程遠いのですが、諦めずに続けていけば、もう少し前進できると感じました。

以前にも書きましたが、コツコツと勉強することは好きなので、このまま続けていきたいと思っています。

早速ですが、今年テキストが一部書き換えられて、新しい本が出版されるそうです。

アマゾンのサイトを見てみると、すでに売り切れで、入荷の予定は未定だとのこと。

こんなにも『京都検定』について、勉強しようという人が多いのでしょうか?

とりあえずは、古いテキストをじっくりと読み進めたいと思います。










1級の合格率は2.7パーセント(京都検定)

2025-01-24 | 観光・旅行・京都検定

今日は、昨年の12月に受験した「京都・観光文化検定試験」(京都検定)の合格発表がありました。

私は、自己採点をして、まったく合格ラインに届いていないことがわかっていたので、諦めていました。

しかし、職場の方が2名、3級を受験されたので、一緒になって、発表を待っていました。

お昼の12時になって、京都検定のサイトに合格者が発表されました。

職場の方お二人は、見事に合格されて、喜んでおられました。

私も不合格と思いつつ、合格者を見てみると・・・

すくなーい!

合格者はたったの24名でした。。。

こんなに少ないとは!!


合格者の情報を見てまたしてもびっくり・・・!!

受験者数が884人で、そのうち合格したのがたったの24人ということです。。。

合格率2.7%ということです。

こんなことってあるかな・・・?

過去の合格者の割合を見てみましたが、昨年は7.1パーセントでした。

今年は断トツで低いです。。。

これは、問題がむずかしかったのかな・・・。

京都検定さんも合格者が出すぎないように、引き締めにかかったのでしょうか・・・。

とにかく、不合格の97.3パーセントのみなさん、ご苦労様でした。


もうひとつ、驚く情報がありました。

京都検定の1級に毎年のように受験し、複数回合格されている「京都検定マイスター」という方がおられます。

1級合格、常連の方ですが、その方が今年も合格されたというお話です。

その数、なんと22名。。。




え・・・???ということは、どういうこと?

1級合格者24名のうち、「京都検定マイスター」の方が22名で、今年初めて1級に合格した方は2名だけ???

今年の1級合格者は、ほとんどが「京都検定マイスター」の方ばかりということですか・・・。

いやはや、初挑戦の者にとっては、高い壁だったわけですね。

これは、残念というより、あきれてしまって、すっきりしたくらいです。

この方たちと同じレベルになるのはなかなか・・・。

この反動で、来年は簡単な問題になるなんてことは・・・?

あるはずないですね。。。

 

 

 


わかりにくい室町時代

2025-01-12 | 観光・旅行・京都検定

昨日は同窓会で、今日はゆっくりとしていました。 

ちょうど、京都検定から一ヶ月経ったので、次回に向けて、新しく勉強を始めたことがあります。

あちこち神社仏閣を回って、京都の地理には詳しくなってきたのですが、もう一つの大きな流れである歴史を勉強しないといけないと思い始めました。

実際に昨年の一級の問題でも、聞いたことがない歴史的な事件がいくつかありました。



特にわかりにくいのが室町時代です。

戦国時代から、安土桃山時代、江戸時代についてはドラマや映画などでよく知っています。

平安時代も去年『光る君へ』で、少しイメージが湧いてきました。

けれど室町時代というのはなかなかドラマには出てこないですね。

足利尊氏が後醍醐天皇と一緒になって鎌倉幕府を倒したのはよく知っています。

その後、天皇中心の世の中に戻そうとした後醍醐天皇と武士の政権を継続しようとした足利尊氏、、、。

二人は決別し、後醍醐天皇は吉野に南朝を立てるのでしたね。

そこからが、いまいちよくわかりません。



足利尊氏は北朝を支持して、京都に幕府を開きました。

同時に鎌倉に鎌倉府という幕府に似たような機関を置いて、関東を治めさせたそうです。

その任務に就いたのが、足利尊氏の弟の足利直義(ただよし)らしいです。

そのあたりは関東の話なので良いのですが、京都では足利尊氏が将軍となり、将軍を補佐する役割として管領という職を置いたそうです。

鎌倉幕府の時に執権という仕事があったのとよく似ています。

ここからが話がややこしいところなんですが、朝廷は北朝と南朝が自分こそが正当な天皇だと争っていましたね。

さらに、京都にある幕府と鎌倉にある鎌倉府の間でも、だんだんと確執が生まれてきたというのです。

そして、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)という大きな事件へと発展するんですね。

また、三代将軍の足利義満は、強大な権力を持っていたので、比較的安定した政権運営ができたようですが、一方で地方にいる有力な氏族が幕府に歯向かうことがないように、有力な守護大名を次々と滅亡に追いやったようです。

山名氏清という地方の氏族が足利義満と戦って京都で戦死したことが一級の問題に出ていました(明徳の変)。

そんなことが問題に出るとは夢にも思っておらず、慌てふためきました。

足利義満の事は知っていても、戦って滅ぼされた地方の守護大名の事は知りませんよねー!



さらに、、、足利6代将軍の名前は覚えていたのですが、その人がどんな人かまでは知りませんでした。

4代将軍の義持が息子を5代将軍にしたのですが、その義量(よしかず)が若くして亡くなってしまいます。

そして6代将軍を決める前に義持も亡くなってしまいました。

仕方なく、6代将軍はくじ引きで決められることになったそうです。

歴史で習ったかどうかよく覚えていません。

くじ引きで決まった足利義教(よしのり)は、万人恐怖と言われるほどの強権的な政治で次々と気に入らない人を処刑していたそうです。

そのために結局、赤松満祐という人に宴会の席で殺されてしまうそうです。(嘉吉の変)

それも習った記憶がない、、、?




最後に応仁・文明の乱ですが、いったい何が原因で誰と誰が戦ったのか?
 
東軍の細川勝元と西軍の山名宗全はわかるのですが、、、。

管領という将軍を補佐する役の氏族がそれぞれに家督相続で大混乱!

いったい誰と誰が戦っているのか、、、覚えるのは無駄と諦めました。

ほんとに室町時代は、わかりにくい時代です。

しかし、ちょっと勉強してみるとなかなか面白い時代だったと思います。


いつも誰かと誰かが戦っているんですね。

家を誰が継ぐのか、次の将軍やその他の職を誰に譲るのか?

全ては混沌として、力で奪い取るもの、まさに武士の時代が本格的に到来したという時期なんでしょうね。
 
歴史は年号を暗記するものと思っていましたが、人の生き方を物語のように読み解くとなかなか面白いことがわかってくるもんだと感じています。
 
 
 
 









義経と弁慶の出会いの地『五條天神宮』

2025-01-09 | 観光・旅行・京都検定

 

昨日は『初薬師』で、因幡堂に行ったのですが、ついでに近くにある五條天神宮にも行きました。

この神社は古くからある由緒正しい神社なのですが、面白い逸話があります。

『義経記』という書物には、義経と弁慶がこの神社で出会ったと書かれているそうです。


「京の五条の橋の上〜」という歌がありますが、実際のところは、どうなのでしょう?


そもそも当時の五条大橋は現在の松原通にあたるそうですが。


創建は古くて、平安時代のはじめに桓武天皇が空海に依頼して創建したとされています。


もう一つ面白い話があって、当時は広い敷地を有していた神社だったのですが、秀吉が道を作った際に、境内を突き抜ける形で、道が通ったそうです。


そこから、天使突抜という地名がついたとのことです。


何処かに、地名が書かれてないかと探してみました。


たしかに、このあたりは天使突抜一丁目だということですね。


地名を探しながら、京都を歩くというのも楽しいものですね。