ちょうど一年前に、『京都検定』の勉強を始めた頃に行った六波羅蜜寺~六道珍皇寺へ行ってきました。
どういうわけか、今年は娘と家内が3級を受験すると言い出しました。
家内は、私が勉強するのを横で聞いていて、お試しで昨年の問題をやってみたところなんと70点で合格点を取ったことがあります。
娘は、新選組のファンで「新選組検定」の3級に合格しているのですが、今年の3級のテーマ問題が「新選組」なのです。。。
そういうわけで、勉強のとりかかりとして、まず行きやすいところから、一つでも行ってみようということになりました。
娘は、先日も晴明神社や白峯神宮に一緒に行きましたし、以前には金戒光明寺や西本願寺、隋心院など、何回かお寺巡りに一緒に行きました。
さてさて、どうなるかわかりませんが、一応私は3級は合格しているので、私の知っているだけの知識を披露して、案内しました。
六波羅蜜寺を開いた空也上人は、醍醐天皇の皇子だったそうですね。
自ら手掘りの仏像を台車に載せて、京都を歩き回って、梅干しと昆布の入ったお茶を病人に飲ませたと書かれていました。
声をだして念仏を唱えることが、禁止されていたけれども、「モーダナンマイトー」「ノーボーオミトー」とわけのわからない言葉にかえて、唱えていたそうです。
すごい執念ですね。
平家ともゆかりのある寺院で、六波羅というあたりは平安の末期には平家の邸宅が数千件もあったそうです。
また、仏師が活躍して、仏像や人物像をたくさん作ったようです。
宝物館にたくさんの木像が展示されていました。
鎌倉時代になると、鎌倉幕府が京都を監視するために、「六波羅探題」という機関を設置して、西国支配の拠点としたそうです。
さすがに一年もたつと、このあたりの知識は整理されて、すらすらと説明することができるようになりました。
ちょっとしたガイドならできるかもしれません。
次に向かったのは、こちらも昨年に寄せていただいた「六道珍皇寺」です。
平安時代の官僚であった「小野篁(おののたかむら)」さんが、夜になると井戸を通って、あの世へ行って閻魔大王の秘書をしていたという言い伝えのあるお寺です。
直接井戸を見ることはできませんが、窓からのぞくことができます。
奥の方にふたをした井戸がありました。
11月には特別公開があって、井戸のそばまで行くことができると住職さんがおっしゃっていました。
あの世と、この世の境目で「六道の辻」と呼ばれるところ・・・。
家内が興味を持ったのは、なんと「幽霊子育て飴」でした。
わたしは、気持ち悪いので、嫌だったのですが、飴を買いたいと言って、入っていきました。
身重の方が亡くなったのですが、赤ちゃんは無事で、よなよな亡くなった女の人が飴を買いに来るという伝説があります。
あかちゃんは、その後大きくなってえらいお坊さんになられたという話が書かれていました。
家内が買ってきた飴です。。。
おいしいのでしょうか?
私だけなら、近くにある建仁寺や恵比寿神社にも行けたのですが、なにせ家内も娘ものんびりペースなので、ここでお昼になってしまい見学は終了・・・。
このペースでは、とても勉強には間に合わないと思うのですが、どうなることでしょう???
去年はもらえなかった六道珍皇寺の御朱印を頂いて、ご住職と少しお話ができました。
よくお話してくださる方で、貴重な話が聞けました。