かんりにんのひとりごと

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桂昌院はどうやって将軍の母に

2024-09-03 | 観光・旅行・京都検定

九月に入って、台風もいなくなって、ほんの少しですが、涼しい風が吹き始めました。

あと少しの辛抱と我慢の日々です。

今朝の散歩では、何やら野鳥が飛び立ったと思ったので、写真を撮ったら・・・。

よく見るとスズメだったので、がっかり・・・。

綺麗に羽まで撮れているのですが、スズメではあまり喜ばれません。

かわいそうなススメちゃんです。。。

さて、今日も職場で、「京都検定」に向けて、ミニ勉強会をしていました。

同僚の方が、頑張って勉強をされていて、昨日やった問題を話してくださいます。

もう一人の方が、その答えを考えます。

私は、3級の問題なら、だいたいわかるので、皆さんが答えるのを待って、いろいろと補足を話してきます。

たいていは、このブログに書いていることなのですが、わりとそういう話を喜んで、聞いてくださいます。

話を聞いてくれる方がいるというのは、ありがたいことです。

だいたい、長い話とか、ウンチクを語りだすと、嫌がる人が多いと思います。

たまたま、京都の寺院を数多く復興した「桂昌院(けいしょういん)」さんの話となりました。

この女性は、八百屋の娘として生まれたのに、どういうわけか徳川5代将軍綱吉のお母さんとなったという珍しい人生を送りました。

私がその話をしていると、同僚の方が「八百屋の娘がどうやって将軍と出会ったのか?」という話になりました。

いやあ「急に言われても・・・」と、私もそこまでは知りませんでした。

困った時のスマホに聞いてみましょう・・・ということで、聞いてみると、よくわかりました。

細かい話は省略しますが、桂昌院はもともとは京都の大徳寺の近くにある八百屋の娘で、名前をお玉と言いました。

転機となったのは、お玉さんのお父さんがなくなって、お母さんが再婚したことでした。

その相手がお公家さんだったそうです。

お母さんが、お公家さんとどうやって知り合ったかまでは、書いてありませんでした。

詳しい経過はわかりませんが、そのお公家さんのつてをたよりに、お玉は江戸城へ部屋子として、入ることができたそうです。

その後、なんと春日局の目に留まって、将軍付きとなり、やがて三代将軍家光の側室となりました。

まさに、シンデレラですね。。。

ただし、側室であったので、子供が生まれても、次の将軍になることは無いと思われていたそうです。

ただ、お玉は学問をしっかりとさせて、子育て上手だったようです。

運命とはわからないもので、たまたま・・・4代将軍に後継ぎが無くて、他の後継者も相次いで亡くなったために、お玉の産んだ子供が5代将軍になることに決まったのです。。。

人生、わからないものです。

「八百屋の娘が将軍の母になるまで」というストーリーを聞いて、職場の一同「なるほどーーー」と納得した次第です。

この話は、徳川家の公式記録「徳川実記」に書かれているそうです。

この話が由来となって、お金持ちと結婚することを「玉の輿」というようになったとも言われています。

またしても、職場一同が「なるほど・・・」とうなったのでした。

歴史の勉強は、大変面白いなあと話し合いました。。。

めでたし、めでたし・・・。

  

   



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