堤保有つれづれ日記

つれづれに感じること

メールチェック

2012年01月24日 | 日記

 メールはPCだけ使っていた。
 携帯は殆ど使わなかった。その理由は2つ。
 最大の理由は添付ファイルが使えないこと。もう1つはデーターとして残せないこと。
 ギャラクシーに変えてからメールも使い始めた。

 PCメールは朝一番に開き確認する習慣。ギャラクシ-はその習慣がまだない。
 携帯はまさに、常に携帯していたから、メールの着信はその都度確認した。
 ギャラクシーは会議などでは、日程を入れたり、メモに使うので、たいてい机上に置く。
 しかし、マナーモードにして鞄に入れておくことがある。
 メールの着信に気が付かない。
 メールチェックの習慣もない。
 結果、見過ごしてしまい、迷惑をかけてしまう。
 タイムリーな対応が身上のはずだが、逆な結果。
 明日からは、PCメールのチェックと同時にギャラクシ-も。

 三小の研究発表会、最後まで居る。
 三小は都教委のスポーツ教育推進校、市教委の研究協力校。
 グラウンドのコンデションが悪く、授業を行ったのは体育館だけ。
 寒かったが、体育館の5年生のハーフコートハンドボールの授業とその分科会に出た。
 分科会では、県外から来た先生も含めて熱心な質疑応答が展開された。
 授業を組み立てていく上での先生方の苦労を垣間見た。
 詳細については後日資料を熟読したい。
 音響が悪いのか私の耳のせいか、聞き取りにくかったのは残念。

 以前、公開事業の感想でも書いたが、大人にも通じる点が多い。
 今日も一つ。
 「体育ノート」の活用。
 その日の体育授業の感想、思いついた作戦、反省点を自由に書くためのノートである。
 整理し、反省し、新たな発想を得、次の行動に備え、新たな出発をする。
 日常に埋没している大人こそ、見習うべきだ。

 午前中、陸上自衛隊立川駐屯地司令を表敬訪問。
 立川シティーハーフマラソンで大変にお世話になる。
 目に見えない御苦労も知る。
 感謝の気持ちで一杯。

     
                昭和記念公園の椿


昭和記念公園冬

2012年01月14日 | 日記

 野球のジュニア育成事業を見に行ったついでに昭和記念公園に行った。
 何時もは、立川口か西立川口から入る。
 砂川口からは初めて。
 日本庭園の西側に、里山の風景が広がる。
 砂川口近くでは、日本庭園、こもれびの里には行ったことはある。里山は今回初めて行った。
 四季を通じて行ってみたい。
 シモバシラがあることも分かった。来年は行ってみよう。

 目的は蝋梅。
 しかし、こもれびの里の東側は、まだ固い蕾。
 水鳥の池の手前の数本のソシンロウバイはほぼ満開に近い状態。

     

 サンシュウの赤い実が輝いていた。
 春早く咲く花なのに、まだ実がついていた。

     

 クワガタソウと言う名札があるところの写真、多分、クワガタソウの綿毛であろうと思うが、確信はない。
 違う所で、名札と全く違う花が咲いていた。クワガタソウは枯れてしまい、姿形が無くなっている所に、別の植物の綿毛があるのかもしれない。
 日に映えて綺麗なので写真に撮った。

        

 ソシンロウバイは水鳥の池の傍にあったので、池の近くまで下りてみた。
 多分、キンクロハジロとバンの仲間だと思うがわからない。
 ロウバイを撮るつもりだったので、持参したレンズは何時ものもの、鳥を撮るには不適である。

     

     

     

 ふと見ると、小鳥の集団が木々の間を飛び交っていた。
 シジュウカラだった。コゲラもメジロもいた。
 前に、根川緑道でコゲラを撮ったが、その時もシジュウカラの集団に交じっていた。
 良く見るとエナガらしきものもいた。

     

 他にも名前が分からない鳥もいた。

     

 池の近くに戻ると、よく見かける鳥だが、やはり、名前が分からない鳥がいた。

      

 鳥を撮り始めてから、日が浅いので、鳥の名前をよく知らない。
 鳥の名前が分かりましたら教えてください。


出先での投稿

2012年01月12日 | 日記

 今年は、元日が日曜日だったせいか、新年会も、体協の7日から始まり、もう幾つか終わった。
 日常的な行事も始まりが早い感じで、新年早々忙しい。年末の積み残しの仕事も、平行して処理しなければならない。

今日も、日程が詰まっていたが、たまたま、市役所で30分ほどの空き時間ができた。
何時もは、本を読んで時間をつぶすが、あわてて家を出たので、読みかけの本を別のバッグに入れたままにしてしまった。
 仕方がないので、ギャラクシーでブログをここうとしたが、うまくできなかった。
 結局、寝る前に書く羽目になってしまった。
 まだまだ使いきれない。

 昨日は、JCの新年会。終わりまじかになって、隣席の人と話に花が咲き、中締め。
 良く顔雄合わせるが、酒の席はパーティーなど多くの人と一緒の時ばかり。
 先日の体協の賀詞交歓会に来ていただいた居酒屋の店長を思い出し、続きはそこでと言う事になる。
 帰宅は深夜。従ってブログは書けず。
 しばらく続いたブログは中断。


成人を祝うつどい

2012年01月09日 | 日記

 本日は、立川市主催の成人を祝うつどいが開かれました。
 
交通安全協会錦町支部より5名で参加し、交通整理、誘導等を行いました。
 詳細は明日。


賀詞交歓会・・・情報溢れる場

2012年01月07日 | 日記

 今日は体協の賀詞交歓会。
 今年最初である。
 もうすぐ明日である。
 明日のどんど焼きの準備の時の話。ある先輩曰く、毎日続けると言う事は、毎日2行でも、3行でもいいから書くことだと。正に、その通りだと思う。時間も遅く、酔ってもいるが、PCに向かった。

 賀詞交歓会、主催者側だからこそ聞ける話もある。
 何気なく話される一言一言に重みがある。
 地域の各界、各層の人たちの話は、極めて貴重な情報である。
 何事を成すにも、良質な情報をどれだけ集めるかが重要。
 しかも、多角的に多方面から、それぞれ異なる情報を集め、分析し、集約していく作業。
 これらを基礎において、次に行動に移す。

 賀詞交歓会は、単なる酒に酔う場でも、儀礼的な場でもない。
 体協の今年一年の実質的出発である。
 貴重な情報やご意見を寄せてくださった皆様に感謝。


七草

2012年01月06日 | 日記

 明日は七草粥。
 早いもので、年が明けてもう一週間たってしまう。
 この調子で、今年も過ぎて行ってしまうのか。心して過ごさないと、暮れに後悔することとなる。

 七草に気が付いたのは、どんど焼きの場所を確認に行き、ついでに多摩川の河川敷を見た。
 真冬なのに、緑の野草が目についた。
 多摩川は、子どもの頃の遊び場であった。何月ごろかはっきり覚えてはいないが、冷たい水につかり、鮮やかな黄色のかじかの卵を取った記憶がある。
 今、カジカやゲバチは多摩川にいるのだろうか。

 その頃と比べ、多摩川の植物相も貧弱になった。大水が肥沃な土を上流から運んできたが、今は、河原自体が痩せてしまったのだろう。
 河原野菊が姿を消してしまってから久しい。

 春の七草と言っても、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロのうち、ゴギョウとホトケノザは良く分からない。
 ナズナもぺんぺん草と言う名の由来である、三味線の撥の様な実をつけてからでないと区別はつかない。
 当然、そこまで育ってしまえば食用にはならないだろう。

 七草のうち、野草としてよく食べたものはセリぐらいだろう。
 今は、農薬や環境汚染が心配で、水辺のセリを採って食べる気にはならない。
 スーパーなどで売っているものは、自然のものと違って、香りやあくが無く物足りない。
 かつて、秋田できりたんぽを食べたとき、背の高いセリを鍋に入れるのを見て、東京のセリとは種類が違うのかとも思った。
 余談だが、いまのしょっつるは魚醤独特の臭みが無く物足りない。秋田で売っているものも、嘗ての味と匂いはしない。一般化してしまった。

 ハコベラ・はこべは食べた経験はない。
 昔、鶏を飼っていた。その餌にはこべを採って来て、鳥かごの中に入れると、鶏は喜んで食べた。
 舗装されていない、道端に幾らでも生えていた。今はほとんど目にすることはない。

 スズナ、スズシロはカブと大根なので日常的に食べている。
 しかし、大根は様変わりしてしまった。
 今の子どもたちは、大根と言えば、葉の生え際が緑で、すらっとした青首大根しか知らない。
 かつては、料理の目的によって、何種類もあった。
 辛味のない大根おろしを食べながら、残念に思う。
 辛味大根は売っているが、やはり、ナチュラルな大根本来の辛味とどこか違う。

 母の実家が日野にあり、東光寺大根として有名であった。
 沢庵にすると大変いおいしい。
 沢庵にするには太陽に干し、水分を抜く。凍らしてはならないので、夕方日が陰ると、取り込み、筵をかぶせて、保温する。
 その取り込みを手伝った。しんなりした大根の感触は今でも思い出す。

 沢庵をたるで漬けるが、樽の上の方に、拍子木状に切った干し大根を乗せる。
 浅漬けの状態で取りだして食べる。大根辛さが残っていて大変においしい。
 沢庵を樽で漬けるほど食べなる家はもうないのだろう。あの味を味わえなくなってから久しい。

 食生活も変わったものだ。

 気になるのは、スーパーや八百屋で、かごに入った七草粥の材料を打っているが、七草全部入っているのだろうか。


正月と食

2012年01月05日 | 日記

 昨晩、今年になって初めて日本酒を飲んだ。

 酒も以前は365日、寝る直前に飲んでいた。
 年を考え、健康も考え、飲酒の習慣も改めた。
 酒を飲まないと寝つきが悪い、そんな理由も毎晩飲んだ理由の一つだが。
 酒を飲まなくとも、直ぐ寝られるようになった。
 2日だったり、3日だったりするが 間隔をあけるようになった。

 健康を考え、焼酎中心である。
 本来は日本酒党である。
 私の持論は、酒は醸造酒。醸造酒は銘柄や産地で味が異なる。
 持論に従い、日本酒とワインは、本当に酒を飲みたいときには飲む。
 今年の正月はワインにした。

 今年は、間隔をもう少しあけて、日本酒党に戻ろうと思う。酔うために飲むのではないので。

 正月の職も、依然と様変わりした。
 典型的なのが餅である。
 子どもの頃は、暮れになると、あちらこちらで、餅つきの音が聞こえた。
 その音が聞こえると、正月が近いことを実感した。
 餅つきは大事である、一家総出で朝から準備して行う。
 餅こそ正月を象徴する食べ物であった。
 ところが、今は、一年中、スーパーで売っている。
 我が家では、非常食として、常備してある。災害発生時にも役に立つと思う。
 従って、お雑煮を食べても、正月が来たとは感じない。

 おせち料理も一年中あるし、食べてもいる。
 おせちを食べて、年の初めを感じると言う事はなくなった。
 お正月だけではなく、お祭りなどの年中行事も、昔は、御馳走があった。
 国が貧しかったので、日常は我慢し、物日(ものび)-今は死語かもしれない―にだけちょっと贅沢をした。
 良いことなのか悪いことなのか。
 生活のアクセントが無くなってしまった。


太平洋戦争における詭弁

2012年01月04日 | 日記

 お正月を迎えて4日目、遅ればせながら、ブログのデザインを変えた。
 今年のお正月は、サラリーマンにとっては、元日が日曜日なので、今日から出勤。
 あわただしい正月休み。

 暮れに、太平洋戦争開戦について考えてみたが、改めてまとめてみた。

 太平洋戦争を自衛のための戦争と考える人がいる。
 アメリカによる、日本への石油の輸出禁止等を含む経済封鎖。日米交渉の経過の中で出された、アメリカ側の最後通牒ともいうべき「ハルノート」の内容は日本として到底受け入れることのできないものである。
 そこで、日本は真珠湾奇襲攻撃を行い、自衛のための戦争に突入したと言う。
 ハーグ条約に自衛の戦争であれば、宣戦布告は不要とある。
 それを根拠に、真珠湾奇襲攻撃は合法であるという。

 しかし、太平洋戦争が自衛のための戦争であったという理論には問題がある。
 その根拠は様々あるが、開戦の経緯でもいくつかある。
 その一つは、日本が到底受け入れることのできない、実質的宣戦布告である「ハルノート」を受けて戦いに入ったと言う。
 しかし、日本が開戦の意志決定をしたのは、ハルノートが出される前に行われた、第3回の御前会議であり、ハルノートを受けて開かれた第4回の御前会議ではない。
 もう1つの理由は、ハルノートはハル国務長官の私的文書であり、正式な米国政府の文書ではない。

 太平洋戦争は、開戦の経緯を見ても自衛のための戦争とは言えない。


お正月雑感

2012年01月03日 | 日記

 正月の雰囲気もだいぶ変わった。
 特に、今年は昨年の様々な出来事をどう転換していくかという課題を抱えての新年となった。
 何時もと違った感慨を持つ。
 総選挙も予想される。国民の責任は重い。
 1回やれせてみようみたいな、後先を考えない無責任な選択は絶対してはならない。
 正月早々生臭い話は止めよう。

 課題が大きければ大きいほど、悩みが深ければ深いほど、それを成し遂げた達成感は大きい。
 今年も、逡巡することなく、我が人生に悔いなしと言える為に、この一年を送る決意だ。

 今年も多くの人から賀状をいただいた。
 色々な形で関わりを持たせていただいた方々だ。
 三が日が過ぎればすぐにお会いする人もいる。わざわざ年賀状をとも思うが、
 一年間のお礼と新たな年の良いおつきあいのお願い、やはり、けじめとしての正月の持つ大きな意義の1つだろう。

 遠く離れた人やあまり離れてはいないが、正に、ご無沙汰している人も多くいる。
 賀状の文面を見ていて、懐かしさを覚え、今年こそはお会いしたいという人も多い。ぜひ、実現したい。これも年のせいか。

 賀状を虚礼だという人もいる。
 30年40年以上、賀状だけのお付き合いの人もいる。
 賀状のやり取りが無ければ、今は、只の他人となってしまって、忘れ去り、忘れ去られた人となってしまっているだろう。
 賀状の意味は大きい。

 ブログを見ていると書かれた賀状も多かった。
 立川を離れた人には、立川の匂いが少しでも届ばとの思いもあり、続けているのも事実。毎日書くと決意した以上続けたい。

 昨日、根川に行ったからには、矢川にもと思い、行った。
 冬はほとんど行かない。
 枯草が刈られ、綺麗になっていた。

     

 帰ろうと思い、南西の出口の傍の刈り残された枯草の所をふと見ると、見慣れぬ小鳥が一羽いた。
 あわてて、思わずシャッターを切ったが、ピンボケ。
 改めて、カメラを構える隙に姿を消してしまった。
 根川も矢川も準備不足。
 近い内の風のない日に改めて行こう。

     


コゲラ

2012年01月02日 | 日記

 タバコが無くなったので買いに行った。
 ついでに正月の富士を撮ろうともってカメラを持って出た。
 あいにく富士は雲に隠れえしまっていた。
 根川緑道に行ってみた。残堀川沿いに行くと、小鳥が何羽か飛んでいた。鶯であった。
 21~200㎜のレンズしか持っていかなかった、1枚だけ取ったが、あきらめた。前にも、根川では貝殻坂橋の所でメジロが5、6羽群れて水浴びをしているのを撮ったことがある。

 下流に向かって歩いていくと、枝の間を飛び交う小鳥に気が付いた。シジュウカラだった。
 他に撮るものもないので、シジュウカラでもと思ってカメラを構えた。
 ところが、シジュウカラとは違う鳥であった。
 よく見るとコゲラであった。
 コゲラは日本で一番小さいキツツキの仲間。
 盛んにくちばしで木をつついていた。かなりのスピードだ。
 近頃では、市街地に近いところにもいるとは聞いていたが。
 根川で見るのは初めてだ。
 残念ながら200㎜のレンズしかない。それでも比較的近くて撮り易い条件だった。