前回、若泉敬について書きだした途端にTEL、緊急な用事のため中断。
ブログは、新しい記事が前に来るので、続編はなかなか書きずらい。
結論が先になっていしまい、論理の筋道が逆転してしまう。
幸い、今回は、書きだしたばかりなので、その心配はない。
若泉敬が佐藤総理の密使として、沖縄返還交渉に当たった経緯はどうだったのかは良く分からない。
しかし、結果的に、外交交渉の凄まじさと、結果の重大さに、改めて驚きを感じた。
アメリカに比べ、日本の外交交渉の拙劣さを改めて感じた。
アメリカ側は、その意図と交渉戦略を最後まで隠し通しただけではなく、交渉終了後も日本は気が付かなかった。
若泉は返還20年後のシンポジウムで交渉相手であるアメリカ留学時からの友人でもあるハルペリンという人物から明かされ、愕然とする。
その真の意図とは沖縄の基地の固定化と自由使用である。
現在の沖縄の人々を苦しめている根源は、沖縄返還が決定したこの時にある。
若泉が「小指の痛みを全身の痛みと感じてほしい」という言葉と、沖縄の老婦人が日の丸をもつ写真を終生手放さずにいたこと。
放送のなかで、若泉氏が沖縄慰霊碑の前に端座して長い間祈る姿が映し出された。
若泉氏の沖縄の人々に対する思いを深く感じた。
己の交渉による結果責任と計り知れない理由によって、氏は自らの命を友人の前で絶った。
今晩組は、交渉の難しさと、交渉における戦略と戦術について学ばされた。
外交交渉だけでなく、すべての面で重要な教訓であると思う。
アメリカは核に対する日本の絶対的な世論を巧みに利用した。
若泉もそのことが絶対条件であった。非核三原則を勝ち取る。それが絶対命題であった。
そのために他の問題は等閑視した。
アメリカは軍事戦略上核兵器は多様な形態で使用でき、沖縄には固執していなかった。
アメリカの真の狙いは基地の固定化であり、自由使用であった。日本はそのことを全く考えていなかった。
ベトナム戦争はほかの世界の出来事であった。沖縄との関係は無視されていた。
アメリカの真の狙いはひた隠しされ、囮の議論に終始した。アメリカの外交戦略・戦術の完勝であった。
三小の東南の隅にザクロの木がある。
丁度今、花から実へ変化しようとしている。現代の子供たちは柘榴の実を食べるのだろうか。
甘酸っぱい味を思い出す。