オストメイトとなって4年目になったが、腸中心の生活が当たり前のようになってる。
それまでは度重なる腸閉塞でも手術を拒み続け、山に登り、海で泳いで鍛えておれば大丈夫だと、それだけで8年近く過ごしておったが、さすがにその腸が破れてしまって身動きが出来なくなってしまい、死にかかって緊急で入院して10日間、手術すら出来ずに水も飲めず、やっと手術が決まっても、生き残っても五体満足に生きておることは難しいだろうという酷い状況だった。
1カ月以上の入院なんて初めてだったし、退院後は副作用や合併症とストマ周辺の肉の抉れた傷が治らず5か月間、生き地獄という言葉通りの激痛に苛まれ、さすがに生きて居て終わりにしたいと思ったのも、その頃のことだった。
それでも毎日治療とパウチ交換を5カ月続けてる間でも、里山を歩き、温水プールでも歩きを始め、半年後にやっと2000mの山に戻り、海でも遠泳をできるまで回復させた。
ジッと安静にしておったら、たぶん俺は駄目になっていただろう。
薬もいっさい服用しなくして、ぜんぶ捨て果てた。
いまではまた健常者どもよりは体力も精力も強靭になり、昔とおなじ行動範囲になっている。
ただ、腹筋に穴を開け、腸の端を出し、パウチという袋が付いている。
あとは普通だ。
パウチを4日に一度交換するとき、真っ赤な腸の端くれと対面する。
オストメイトになった自分の身体のケアをするとき、その腸の端くれを見て、真っ赤な薔薇の花だと書いた大学の先生をやってるお婆ちゃんがいたが、まさにその通り。
きれいな色をしているが、これを丁寧に洗ってケアしてやり、まわりの体毛も剃ってやる。
完全防水・完全防臭の強力なイタリア製のパウチは、その後に乾燥させた腹部に貼りつける。
泳ぐとき、温泉に浸かる時は、スイムラップと言う腹巻に仕舞ってしまう。
ただ自分で作ってるドレッシングテープで貼付部は強化している。
海での遠泳や、温泉での柔軟体操や、たっぷり時間をかけるセックスでも、別に気にすることもない。
いろんな工夫を自分で行っているから、脱衣・着衣も普通の時間だし、排便・ガス抜きなんて健常者よりも素早くなっている。
食事も普通だし、行動も普通だし、仕事も普通にこなしてる。
当初は、山に登ってパウチが剥がれたり、海で潜ってパウチが剥がれたり、いろんな支障が起きていたが、世界中のパウチを取り寄せて、一番自分の体型に合うモノを探したことで、すべての不安は解決した。
最初の頃は予備のパウチや装具用具をいつも持って山に行っていたもんだったが、車内が暑くなると装具類が駄目になるからクーラーボックスも車に積んでいたりしたもんだったが、いまでは予備は持っていかなくなってる。
その代わりに、ヘルニアベルトという腰痛ベルトのような腹巻で、パウチごと締めて押さえるようにしてる。
寝る時いがいはずっと着用してる。
腸、人体で一番大事な臓器、そう考えるようになったのは、オストメイトになってからだ。
あらゆる人体の臓器は、腸から派生している。
だからなんでも食べるが、消化には気を使っている。
ガスの出具合や便の出具合や、細かな変化にも気を使うようになった。
煙草はアイコスに代え、酒も飲んでいる。
健康な身体はなによりも嬉しい。
まわりの多くの者らはだ~れも俺のことを障害者だと思ってない。
車はいつも俺が長距離運転するし、荷物だって俺がいつも一番重いものを担いでる。
自意識から自分が障害者だという感覚はなくなっていて、4日に一度作業がある身体、そんな感じだ。
ただね~、優遇されたり免除されたり、障害者手帳は年中あちこちで活用させてもらってるよ。
これが自分の身体のこと。
それだけで日常を生きて居る人間では、半端者。
そこから相変わらず他人や社会に関わり合って、いろんなことの為に、日々を過ごしている。
そこまで回復させれば、社会復帰、そう呼んでも良いんだろう。