NHKをぶっ壊す党とか、れいわ新選組の立花・山本は面白いと思ってまわりの人間にも話していた。
大メディア群を相手に、諸派という括りで無視され続けてもそれぞれ議席を確保したことは、嬉しいね。
数合わせでとんでもない候補者もいたが、それは仕方ないだろう。
今の政治は票がすべてになってる以上、キレイごとは要らない。
まさにトランプが使った現代風な手法でもあるが、一定の人間が票を入れてることが嬉しい。
俺は期日前に投票に出かけていた。
京都アニメーションの事件当日、あの建物ではセキュリティーを解除していたが、それはNHKの取材が入っておったからだ。
それについてNHKはいっさい報じてない。
吉本の大株主には在阪・在京の大手テレビ局が連なっている。
こういう報道の世界を押さえれば天下を獲れるというような昭和の名残りは、そろそろ終わりになってる。
高度経済成長とは、そんな報道による洗脳と煽動の歴史だ。
開戦と敗戦、それもまたおなじような報道によるものだった。
既成の与野党に票を入れてるような間抜けらは、もっと社会がぐちゃぐちゃにならない限りは動かない。
常に周囲に合わせて生きてるつもりが、その周囲とは中身の無い、メディアの作ったおとぎ話だったと知る。
そういう流れにすでになってるにも関わらず、阿呆なことよ。
テレビを抱えて、新聞手にもって街に出たら、みなに相手にされなかった・・・そういう時代になって欲しい。
俺なんざ、すっとそういう立場で生きて来て、社会から外れてしまってるようでもあるが、他人からの相談事の持ち込みは今でも逆に増えている。
それが現場の実態だ。
テレビや新聞で生きてる人たちの脳味噌は、すでに腐り果てておる。
叩いても、愚民!愚民! と鳴るだけだ。
森永ヒ素や水俣病で死亡した被害者の数はともに100人を超え、障害を負ったものは万人という数字だった。
いちいち表沙汰にはならなかった公害による被害や、子供らが巻き込まれた事件や事故も多かったし、情報を報道するメディアが少なかったせいもあり、もっと多くの日本人がおなじ日本人の組織・企業によるゼニカネ儲けの犠牲になっておった。
戦後の高度経済成長が隠し続けている膿だな。
俺は現場でそれをつぶさに見て育った。
思えば国や大企業の嘘や薄汚い本性を見抜いたのも、ガキの頃のことだった。
怖れるものなど、この国には居らん。
偉そうに見栄張って居るのは、はったりと嘘だけの大人ばかり・・・これで60年生きて来てる。
反社会勢力との付き合いがどうたらこうたら騒動しいが、著名企業も政治家もプロスポーツの世界も、芸能界だけでなく、いまだに形は変えても付き合いは続いている。
知らないのは善良なる庶民を気取ってる国民のほうだろうが、それもね、本当に知らない善人ばかりなのか? 疑わしいもんだろう。
法律や規制が細かく厳しくなってることは、裏返せば抜け道も合法的に作りやすいということだ。
曖昧なまんまというのが、実はその維持がとても大変なんだという事実、人間社会とはそんなもんだ。
気も使えば金も使う、その必要が法律や規制によってなくなった、と思ってるとしたら、よほどの阿呆だろう。
そのまんま社会全般に犯罪が紛れ込んでしまってる、そういうことだ。
解りにくくなってるし、誤魔化しがいくらでも出来る逃げ道だらけになってる。
昨日は明け方から往復600キロを走って夕方には戻ってきた。
新潟の美味い米、その稲が青々と風にそよいでいるのを眺めて、関東の田んぼの稲とは違うと解る。
景色が違ってる。
山々を歩き、渓谷を見て、花々を愛でて戻ってきた。
人類が誕生する前、はるか昔から地球は蠢いているが、その断層と断層が作った渓谷は目が回った。
相変わらずハードだけんども、愉しかった。
いい塩梅だったな。