NHKのナントカと名乗る電話が唐突にあり、西蒲田の中学生が刺された事件で、事件現場近くの当社の管理する古アパート群の防犯カメラを見せて欲しいと、失礼な内容だった。
当然に、怒り、蒲田警察の警察官や鑑識ならば顔見知りもいるから、そっちからの依頼ならば協力はするが、なんでテレビ局の人間にプライバシーとなる防犯カメラの映像を見せる必要があるのか? 怒鳴っておいた。
協力すればその映像や画像は、安っぽい専門の映像・画像バンクのような転売会社に横流しに流されて、いろんなメディアの報道に勝手に使われて行くのが現代社会だ。
大メディアの連中は、勘違いしてるとは常々言い放って強く当たることは多いが、目先の視聴率だけで生きて居る猿の群れは、俺にとっては雑魚な敵となっている。
大メディア群の胡散臭い動きは日常にたくさんあるが、相手を間違えたらとことん虐められる、自業自得だな。
すべて録音してあるから、ワザとややこしい話にしてやっても良いと、大笑いだ。
周旋屋は、そのくらいの厳しい日常を生きて居る。
異性と知り合う時間がないとか、きっかけがないとか、受け身で言い訳ばかりする奴らは、しょせんは嘘と虚飾と猿マネばかりの自己主張を繰り返して、自分のことは常に棚に上げておいて相手のことばかりを吟味する。
寝る間も無いほどに忙しければ忙しいほど、俺なんかは女を口説くことも増えていたし、遊び惚けていたもんだったが、そういう飾る必要のない時にこそ、異性はよく見えるものだった。
逆に暇なときほど異性には興味もなくなって、山や海での遊びの方に、気持ちは向かうもんだった。
そんな時に知り合ったり付き合った女は、ただのファッションみたいなもんで、長くは続かなかった。
人類の半分は異性だから、別に出会いは社会に溢れているし、出会いの方法を考える奴らに限って、カッコつけて見栄張って、阿呆な猿芝居を繰り返すもんだ。
能書きばかりが先に立つ恋愛や愛情は、じきに行き詰まるさ。
あんた結婚相手ともなればその日常の普段の姿で付き合い始めなければ、続かないか、カッコだけの仮面夫婦生活で終わってしまうだろう。
喜怒哀楽もそのまんまで、誰も相手にしてくれないならばあんた自身の落ち度だから、直すだけだろう。
薄っぺらい生涯を、そんなことで終えてしまう大人社会も、どうかと思うでよ。
幼児が集っている消費社会では、あんまり会話はしたくもなくなってる。
馬鹿臭いことだ。
高齢者の齢の重ね方にもいろいろあって、後ろ向きで、ナニも無い植物化してしまってる人たちでも、笑いには飢えているようで、笑えば食欲も出て、少なくとも意欲は甦るもので、そういう接し方は基本になっている。
独り暮らしともなれば不安や思考停止は進んで行き、行動しない受け身の日々がそれまでの生涯の落ち度であれば、その終活も自閉と投げやりな日々になって行ってる。
皆と一緒、群衆の中の目立たない一粒、それで良かったのは身体が動いていた時の話で、そうでなくなってくると孤独が身に染みて、つまらない日常に文句ばかりが山積する。
自業自得な話だが、どんなにゼニカネを持っていても、それは逃げられない性となって行く。
若い時分からの生き方価値観の再構築が、どれほど大事なことなのか? 気が付いた時には手遅れだろう。
あ~あ、だな。