ペットの血統がどうたらこうたら抜かしてるのを聞くと・・・オメ~の血統がそんな程度のくせに、テメ~の血統のことすらナニも知らない癖に、よくもま~ぬけぬけと阿呆を抜かしてるな・・・と、言い放ってやってる。
由緒正しい家柄で・・・という妙な言い回しがあるが、聞けばたかだか3代か4代、酷い話になると2代前くらいしか墓や土地の話がナニもない。
おかしなお家柄だこと。
逆に天皇や名家と言われてる家柄になると、なんども途中で人物が入れ替わっておって、血の繋がりよりも由緒を続けることを優先して、おかしな中身になり果てている。
管理された墓地の墓の下には、せいぜい3~4代の骨壺しか埋まらない訳だから、その先の代に溢れたらどうするんだろうかね~。
卑しい、怪しい、自画自賛な、お家柄の作り話は、その先祖の墓の在り様で、だいたいの嘘は丸見えさ。
なにかの未来を研究する、これからの時代を予言する、ところが当の本人は、自分の明日が見えてない。
・・・あなたは今つらいことが続いているけど、我慢していればきっと良いことがあるわ!
そんな悠長なセリフを澄まして並べ立ててる占い師は、今月の家賃を払ってない・・・よくある話さ。
メディアを利用して、メディアを呼んで宣伝して、メディアを使って広告集客、それをやめなければ、本当の商売がなんなのか、解る訳もないだろう。
俺は最初からメディアお断り、永く続けている自営の仲の良い連中も、いっさいメディアには出ることもない。
関わったら最後、自分自身を売り払うようなもんさ。
身内の、あちこちの高齢者のお世話をしているので、仕事をやっていても、時間があれば立ち寄って、買い物があれば買ってやって、話をする時間を持つようにしていると、すでに自分の時間というものはまるで無い。
仕事で介護や看護や医療をしているのならば仕事の定時で終わりになるが、そうもいかない。
・・・もう、充分に生きたから、死にたいのよ、生きて居てもナニもないのよ
・・・自分でナニもできなくなりつつあるから、もう生きていても仕方が無い
・・・迷惑ばかりかけて、悪いの
・・・な~んにも、ないよ
高齢化社会の、解っていた日常を、ナニも無いのではなく、ナニも考えて準備してなかったということだ。
俺なぞは、自分の生の終わり方について、ガキの頃から考えていた。
こう生きて、こう終わりにする、漠然と、そんなことはよく考えていたからこそ、こういう生になっている。
来るべき時代を読み、そこで自分を取り巻く環境がどう変化しているかを読み、そこでどう終わるか、これは元気なうちに決めて置くこと、そうでなければ玩具にされて酷いぶち壊しで終わってしまう。
理系でなければ、本来の文系という学問は身につかないのとおんなじで、文系でなければ理系も身につかない。
細分化して、縦割り専門化した意味は、人類を退化させるための手段だ。
あちこちで管理している古いアパートには、大勢の身寄りの無い、高齢者が一人暮らしをしている。
今年も何人かが、そこで亡くなったり病院で亡くなったり、施設に運ばれて行く手配をしてあげたり、増える一方だが、メディアでは面白可笑しく報道するだけで、では? どうするの? という話には決してならない。
報道が終われば、すべては元通り、ただの陳列する商品なのが、現代社会の報道・ニュースだ。
知識の豊富さと、その日常の豊かさは比例しない。
嘘と、作りモノと、その場限りの言い訳と、時間の大いなる無駄だ。
そこで生き抜き、高い山の頂で亡くなった人たちを天に還す、自分もまた、そんなところで天に還るだろう。