オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

休むのは、死んでからでエエがな

2024-11-27 11:03:27 | 銀座の周旋屋

 

 

 大手の会社の飲み会や忘年会やナニやらに誘われるがまんまに出掛けていたのは自営を始めて10年くらいのことだったが、それ以降はお断りして来てほとんど無縁になった。

 いまだに不動産バブル時を思い出すようなそんな趣向でやってるデベロッパーもいるけんども、だいたいが堅苦しい馬鹿騒ぎもしないお食事会のようになってるから、ハチャメチャをやってた世代には愉快でもなんでもないから関わらない。

 時代は変わっているのさ。

 浴びるように酒を呑んでいた時分から、ギャンブルも含めて一切を止めてしまって20年以上になるが、完全に止めてしまったというよりも興味がなくなってる。

 変わった時代に違和感を感じるよりも、その時代に合わせて山で身体を動かしてる。

 良い人になって自意識過剰に生き、見栄を張ってよく見られたいとか、素敵な老後を夢見て過ごす時代も、すでに終わっている。

 言いたいことを言い、全体を常に見て動き、用の無い者やモノはとっとと断つ。

 家や墓や介護もそれを予期して準備万端、アクシデントやトラブルが起きても右往左往などせずに、悠々と笑って対処できるようにしておく。

 俺の場合はすべて終わってしまってる。

 これから新しい世界、新しい時代が始まって行くのに、邪魔な荷物や借金・負債なんざ要らないガラクタだ。

 

 金・銀・銅は競技のメダル争いではなく、過去と今と未来を教えてくれるメタルだが、その価額の動きだけで世界が見えてくる。

 

 高齢者を抱える家や大人たちの愚痴や相談を受ける機会が毎日のようになっている。

 財産・資産を抱えていても、貧しくて働き詰めで暮らしていても、介護というモノはついてまわる現実だ。

 子は親がいて生まれ、親も爺婆がいて生まれてる。

 そこに良い悪いだとか、合う合わないだとか、感情や感傷が入る余地はなく、嫌なら放置して見殺しにするしかなく、金が無ければ医療すら受けられないが、その医療だって意味のない金儲けに堕ちてしまってる。

 財産・資産を持てば持ったで子や孫は働かず遊んで暮らし、または引き籠り自閉して、ゼニカネで全て解決しようとする日常に狂い果てている。

 これは高齢者介護とはまた違った話で、そんな相談も昔から多い。

 葬式・火葬と埋葬費用の相談も増えている。

 現実とは、自分の価値観がその時代をどれだけ先読みして準備出来ているか? にもよるモノで、事が起きてから慌てて動いてるようでは金儲けの餌となる。

 ナニも準備しないで呑んだくれて暮らして生きた大工が女房・子供らにも捨てられて孤独死し、葬式などせずに放置してあった家のボロボロの墓に埋葬されてるだけでも、良かったじゃ~ないかと笑って線香をたててやる。

 孤独死の現場はたくさん関わって来ている周旋屋には、それぞれの現実は笑い話だ。

 色んな死に方があり、凄惨な死に方をしていたって、それは同じ笑い話でしかない。

 自殺や心中をした現場でも、俺は線香をたてて笑って言い放ってる。

 ・・・馬鹿だな、誰しもいずれ死ぬんだから、とことん愉しめば良かったのにな~

 産まれるとは孤立した存在になるということだが、死ぬとは地球に還るということだ。

 生きるとは、目いっぱい孤立して自己主張をして、自由自在に笑って生きてやったか? ということだけで、死ぬとは擦り切れ果てて地球に戻るということだ。

 単純明快、それ以外にはナニも意味などない。

 ただ大事なことは人間は孤立して存在し続けられないということ。

 昔から、自分と同じように孤立した極悪人や乱暴な犯罪者とも関わり合いが多かった周旋屋は、それを嫌というほどに見て来てる。

 では、どうするのか? 

 それを考えることが、すなわち自分らしく生きるということだ。

 

 小学校で6回転校をして、その後も転々とし、義務教育らしきものもたいして身に着けてこなかった俺は、高卒でモノを書き始めて自費出版を始め、その後はイロイロと書いて来ているからもう書かないが、社会に出ても乱暴な犯罪者集団とも言える訪問販売から不動産の業界に首を突っ込んで来た変わり種だから、使っている言葉や語彙すら意味や解釈が違っているのは当たり前。

 性根は乱暴者でしかないから、良い人になろうとも想ってない。

 自信満々で笑って孤立してることが普通だったから、同じように組織で孤立している者らが寄って来た。

 ガキの時分から、孤立して生きてる者らとの関わり合いが多かったせいで、少数派や独りボッチな連中と、笑い合える体質になっていた。

 だから昔は右翼も左翼もヤクザな奴等も同和ですら、仲良く話が出来ていた。

 古典芸能の家督相続で揉めた仲裁・相談や、反社の痴話喧嘩の仲立ちもあったくらいで、世の中の派手な騒動には結構首を突っ込んで生きて来た。

 みな自己主張だけの甘ったれで、そこからどう生きるのか? が抜け落ちていた。

 信託銀行の不動産部にいた時には、独りだけ住んでいる世界も価値観も違っていた。

 朝まで歌舞伎町で呑んで麻雀をうってから出勤するようなのは銀行にはいなかったし、大組織の宴会幹事もやったが水と油は混ざることはなく、派手な関西のデベロッパーの東京進出に合わせて支店開設に携わるのでとっとと辞めた。

 義務教育をキチンと受けて良い子で大学に入り、経済を学んで、そのまんま社会に出て社会人になってる大人たちとは会話が成り立たないことは多い。

 一律なお受験偏差値教育を受けていないから、日常に使っている言葉や単語の意味や解釈がぜんぜん違っている。

 国家の洗脳教育をいっさい受けずに生きて来たケダモノなオヤジでもある。

 そのせいか優秀な人間通の女性とは昔からすぐに仲良くなる。

 獣の匂いのするオスがいない現代社会では仕方の無いことなんだろうが、そんな女性たちも俺の方からは飽き足りず、長続きはしないのが昔からだった。

 頭脳明晰で獣なメスも、あんまりいなくなった。

 ここは、笑うとこだ。

 

 40年くらい前の不動産バブルの時から南青山や銀座の有名な料理店とのお付き合いはたくさんあるが、その経営をつぶさに眺めて来ていると、いまでも営業を続けている料理店には同じような経営者の人間性や価値観が見て取れる。

 いまは素材や技巧をどんどん奇抜で斬新なモノにしようと追求し続けて居る時代だが、健康志向や自然志向や新しいモノばかりを求める志向が逆に経営を圧迫して行って、何十年も続けられないだろうという店が増えて行ってる。

 社会や世界全般を見ていないから、儲かれば店舗展開、投資に運用と、淘汰されて行く側にスタンスを移して行くのが多い。

 高い評価の時に売り逃げるのもゼニカネ儲けとしてはアリなんだろうが、それじゃ~ね、老いて健康な日常は送れてはいない。

 多くの栄華盛衰を近くで関わって接して来ていると、単純なものほど長く続いている。

 凝り過ぎて自分という人間も凝り凝りになって硬直してしまえば、客は限られた変態だけになって行ってる。

 平和が長く続き、幸せな日常でも欲求不満、そこで刺激を求めると過保護に生きて来た免疫のない大人たちは暴走する。

 キレイゴトばかりなんだよ。

 

 人間の世界では、勝てば官軍・正統・善だとなり、それまで悪だの陰謀論だの洗脳されたキチガイどもと呼ばれていた側がヒックリ返るのが常。

 しょせんは人間の世界なんざ、善と悪の白黒勝負、選ぶといったって常に用意された相対する二択ばかり、俺のようにそのどっちにも入らない者はいなかったことになる。

 白でもなく、黒でもない、その隙間に入り込んで生き延びているのが宗教であり、神秘主義・唯心論といった灰色の夢の世界。

 立ち位置は俺も似ているが、決して群れにはならず孤立を選んで好き放題に生きているところが大きく違う。

 人間の弱い部分に入り込んで浸み込んで、もっともらしい楽な金儲けをしてるだけ。

 この頃は都合の良いメディアや洗脳奴隷の側がそれまでの常識を覆されてヒックリ返ることが多くなっているが、立場が逆転したならあなた方が陰謀論者でキチガイ洗脳集団だと言うことになってる。

 死ぬまで両者でやってろよ、という笑い話。

 真実はそこには無く、群れてつるんだ段階ですべてが藻屑・ご破算になっている。

 まとめて大笑いしてやればエエのんさ。

 バイデン民主党だろうがトランプ共和党だろうが、BRICS諸国の時代になろうとも、俺は決してナニにも拠らないし仲間にもならない立場で生きている。

 そういう立場で人種・国籍・老若男女を問わずに、関わって楽しく笑っているだけだ。

 白でもなく黒でもなく、灰色でもない、俺は透明な生を生きることにしている。

 死ぬ準備も出来ているから、透明なんだ。

 

 80歳から90歳過ぎてる高齢者たちと毎日関わっていると、年末を迎える今の時節は落ち着かなくなって焦燥感や孤立感が酷くなる。

 忙しい仕事の合間にも、高齢者たちを連れ出してはキレイなキラキラする街を一緒に愉快に車で見せてやってる。

 イルミネーションであったり、賑やかなネオンであったり、ライトアップであったり、どこでもなんでも知っているオジサンが、説明付きで運転してやってる。

 夕食を共にしてやったり、クタクタになって楽しく戻って来る。

 それが俺の自営のいつもの景色だ。

 昔は幼い子供らとともに毎日のように出掛けることが多かったが、これはあちこちのシングルマザーの応援をしてやってる頃の話で、今はそれが高齢者ばかりになった。

 俺の年齢とともに、そういう忙しい毎日が様変わりして来ている。

 両手の届く範囲のことを常に精一杯に関わり合って生きる。

 メディアが神輿に乗せた一芸馬鹿なスターや有名人や著名人らがファンや聴衆の前で皆を幸せにするとは言うが、そこに集まって来ている連中は皆我欲だけに生きる猿ばかりだから、差し引きすればその集団は社会悪にしかなっていないことくらい、そろそろ気がつけや。

 



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