小池都知事は、都内を自分で見て回ってるのか?
安倍やトランプからの命令には、決して逆らえない淫靡な事情がある。
ファウチやクオモと同じで、コロナで売名行為の、ちんちくりんな連中だ。
この金曜も土曜も、人は街にたくさん出て居った。
環八なんて普通の週末渋滞があちらこちらにあって、単に電車やバスを使わないだけのことで、自粛なんてどこにもなくなってるだろう。
これで、良いんだ。
俺がずっとやってることを、皆さんもやるようになってる。
早く学校を再開してやれや。
オンライン授業なんて、考えてる大人が貧弱な大人ばかり、コミュニケーション能力の欠如した大人社会の逃避を、子供や若者にまで強いる意味はない。
感染者ゼロにするなんて感染症を知らない間抜けの言い草で、100%無理な話だと解っておりながら自粛自粛、いずれ再開して外国からも大勢の人がやってくれば、どのみち第2波、第3波とぶり返すしかないことを、ナニをビビッてチビッテ暮らしてる。
生きることとおなじ、免疫と抗体を自分で体内に持ち、笑って行くだけだ。
ウイルスに勝つ? 勝負の話にする相手ではないだろう。
その撒いてるスポンサーのビル・ゲイツに勝つ? 我が国は勲章までやるくせに・・・矛盾だらけだ。
そうこうしてるうちに、世界では別の感染ウイルスがまた撒かれる。
これからの戦争は武器や兵器は使わない、こういう細菌・ウイルスの戦争・テロになると知るべきだ。
オウムのサリンで解ってるはずだが・・・どうにもならない後進国、未開のシャーマニズムで対応している。
オウムですら、アメリカの一部の連中に知恵をつけられて、日本政府を国内問題でいっぱいいっぱいにさせ、対米従属・資金献金から離れさせるためにとの動きがあった。
つまりはドル基軸通貨・アメリカの世界覇権からの脱退、その為の日本離しだったろう。
専門家会議の露出いっぱいの元気な皆さん、それもそのはずで、一人当り1000万円のボーナスを手にしてる。
その出身・所属母体の組織・病院やらには、厚労省から手厚い功労手当てや今後の慰労手当も出ることになってる。
そりゃ~さ、正しいことを言うよりも、政府や厚労省の言うがまんまに、動物園の獣になった方が良いんだとさ。
最初から、獣みたいな連中しか、テレビには出てないはずだわさ。
俺も角刈りにしてきたら、銀座の子供らには・・・カマヤチさ~ん!!・・・と、からかわれておる。
平常に戻ったなら、獣たちの母体でもある組織や病院は、金回りが良くなってるんだろうから、オレオレ詐欺の連中は狙い撃ちしてやればエエがな。
詐欺は悪人に対してやるもので、その醍醐味は汚れたゼニカネを奪い取ることにある。
・・・ということで、昨日は群馬の長野県境の山に出掛けておった。
とにかく暑かった、日焼けした顔が黒光りするようになったが、太平洋でもそろそろ遠泳を始める。
青葉、とは言うが、実際には新緑、緑だろう。
緑は色彩でいうところの青のカテゴリーに入るから、青と一括で称してる。
信号機の青・黄・赤の青も、じっさいは緑だが、そういう訳で青と呼んでいる。
そろそろ日本語も今に合う表現をすべきだ。
妙義神社・貫前神社・達磨寺・・・帰路、立ち寄ってきた。
オストメイトの大きいサイズの洋服が仕立てあがったので、今回は藤岡に立ち寄る野暮用が最初からあり、小麦の実る上州路をのんびり走ってきた。
日本地図で動いてるから、前回は栃木の山の帰りに佐野で洋服を取りに行き、今回は群馬県に取りに行った。
身体障害者としての、正当な事由がある、ということになっておる。
その群馬県は前日にコロナ緊急事態宣言の強い規制から外れておったから、街中は人の出も多かった。
神社も、妙義神社や貫前神社はそこそこ人出があった。
団体・バス観光旅行者はいないから、動きやすい。
富岡製糸場は生糸の生産だが、貫前神社はその生産者やらが信仰しておった古い神社だ。
貫前造りという社殿の龍を施してる小窓は、稲含山の山頂にある祠に向いている。
360度、眺めのいい頂だ。
達磨寺では御朱印集めのオバサンが、住職にスタンプ・ラリーとの違いについて厳しい説法を受けておった。
禅僧は日々が修行、語り説くことも修行に入る。
俺もどうしようもない極悪人だった10代の頃、臨済の大本山で修業をしたもんだった。
そんなこんなで笑いの絶えない愉しい一日を、またまた過ごして来たわいな。
帰路はワザと下道を選んで善良なる庶民の皆さま方の日常を観察しながら戻ってきた。
まだまだ、元気よの~。
ここんとこの面倒な仕事のおかげで心身が汚れて重くなっておったから、山の頂きと古い寺社を詣でて、それぞれの神や仏と神々の話をして参り、ずいぶんと軽くなったもんだ。
置いて来た人間界の重い荷物は、そこで修業する連中の餌になる。
俺は自分の日常の行動に、すべて自分で意味を持たせている。
だからふわふわ生きることが無い。
さ、またたっぷりと人間界の阿呆な話に首を突っ込んで行くわさ。