コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

あなたは信じますか?

2005-08-13 10:43:12 | Weblog
あれは僕が23才頃、35年位前の8月の今頃の話でございます。

解体直前の写真です、この家で起きました。
今、道は舗装されていますが、
当時は舗装されておらず、轍以外は草がボウボウに生えていました。
又車で通る人も居ませんでしたので、
道に車を止めて置いても、とがめる人も居ませんでした。

玄関は扉に成っていますが当時は引き戸でした。
扉の両側に白い格子が有りますが、
そこまで引き戸2枚で開け閉めをする作りでした。

玄関に向かって左側に車3台分の駐車場、
道路から玄関まで5~6m位まで60Cm幅でコンクリートの道、
右側の出っ張った部屋、サンルームは無く、
サンルームの奥の部屋を茶の間として使っていました。

茶の間の前が小さなテラス、テラスの前は小さいながら芝を植え庭でした。
写真でレンガが在る場所は芝生で、サンルームはテラスの1部でした。

この話の3週間位前、同級生で函南町間宮の山口電気の山口重幸君より、
当時僕が住んでいた練馬の姉の家に電話が有りました。
『マキ、覚えているよね?交通事故しちゃってさ~、逓信病院に入院したんだよ』
『え~、交通事故したって・・・怪我は酷いの?』と僕。
『だいぶ酷いらしい、一緒に見舞いに行こう』と山口。
『うん、分かった、もう直ぐ三島大社のお祭りだから帰ろうと思っていたんだ』と僕。

植松牧男君とは小学校6年生の時、同じクラスで家も近かく、
中学に通うようになりクラスは違っても一緒に遊びました。
彼は『マキ』と親しい人には呼ばれていました。
同じバレーボール部に入り、夏休みの練習には一緒に出掛け、
帰りにかき氷やスイカを食べたり、勉強も一緒にした中でした。

8月15日~17日までの三日間は三島大社のお祭で、お盆です。