コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

昭和36年頃の土地の値段

2005-08-20 17:14:05 | Weblog
函南の家の土地は昭和36年に母が買い求めました、僕が中学2年生の時です。
母は不動産屋さんに『30~40坪でお願いします』と言ったそうですが、
不動産屋さんが『今は大変でしょうが、将来の事を考えて少しでも多く土地を買った方が良いですよ』とアドバイスして下さり、81坪買ったそうです。
当時は坪¥5000-、だったと言っていました。

妻と結婚して30才までに家が欲しいと東京中を探し回りました。
その時に大泉学園駅前の不動産屋さんに学園町に案内して貰った事が有ります。
28年前、学園町の土地は坪単価¥40万―、位だったと思います。
函南町の土地の話をその不動産屋さんに話しましたら、
昭和36年頃でしたら、母が買った値段と同じ位で買えたそうです。
28年前の函南の家の近くの土地が坪単価¥5万―、大泉学園の駅から車で15分が¥40万。
『何故東京に買わなかったの?』と母をナジッタ事が有ります。
15年位で差が付くものですね~!

大泉の土地は結局買いませんでした。
何故かと言いますと、
近所の方達が、『ここは大雨が降ると水が出るから買うのを止めなさい』と、
ブロック塀に付いた水の後を指差し忠告して下さったからです。


初めて持った自分達家族の土地です、
休みの日には母と甥と3人で畑仕事の真似事をしました。

歳月と人

2005-08-19 09:37:02 | Weblog
今朝TECプレシジョンの城田社長が見えられました。
プラスティックの試作品の塗装で弊社が不良品を出してしまったためです。

プラスティックの普通の成型品と違うし、手作り品とも違う方法で作った製品だそうで、
型抜きをする時に使う離型剤の処理を弊社で間違ってしまったためです。
話を聴きますとか型抜きの後機械加工時に素材の中に離型剤をすりこんでしまったためにアルコール洗浄しても取れなかったのが原因のようです。
金属と違いプラスティックの塗装は、
専門業者でないと分からない事が多く手間が掛かります。
素材の違いで塗料の樹脂は変わりますし、成型の違いで洗浄の仕方も変わります。

久し振りにお会いしましたが、以前と違っていました。
人って変わるんですね~!
どちらかと云うと苦手なタイプでした。
居丈高で取っ付き難く、無口も手伝って冗談も言えない人でした。

社長に成り営業で親会社だけではなく、
他社に出入りするように成ったので下請けというか協力工場の痛みが分かってきたのでしょうか?

昔から「角が取れて丸くなる」と人の成長を表現しますが、正にそう通りです。
角が取れて丸くなるのは、その人の本心が目覚めるからでしょうね。

もう一つ考え方が有ります。
角の出っ張りが得意な分野、引っ込んでいるのが不得意な分野だと考えますと、
不得意な分野を克服すると当然膨らんできます、そして丸くなる。

本心は磨かれ光り輝き、不得意な分野を克服し人として大きくなる、これが理想ですね。


この木の写真は函南の実家に生えていた楠木です。
23才位の時見つけましたが小指の先程の太さでした、歳月を感じさせます。
きっと生垣の虫を食べるために来た小鳥が種を落としたのだと思います。
人も歳月で大きくなりたいものです。

昨日幽霊とお化けと書きましたら、

2005-08-18 08:45:10 | Weblog
同じ題名がありました・・・

平林寺は広くて綺麗なお寺です。

一通り建物や木々を観察した後、墓地に向かいました。
妻にカメラを向け、お互いに『私の波長に合わせて下さい』と念じました。
平林寺から戻り早速現像に廻し、特急で仕上げて貰いました。

居ます、居ます、ウジャウジャ写っているでは有りませんか!
木の樹皮、木の葉の隙間、何人もの女性の顔が映っています。
一枚の写真に最低5人は写っていました。

1番驚いたのは、墓の写真を取りましたら首が宙に浮いていました。
髷を結った男の首です、その墓にはそのようなモノは何も在りません。
最初は丸く刈り込んだ植木だと思いましたが違いました。

何年か後、フィルムと写真を持参し、霊視後お炊き挙げして頂きました。
これ以来、この様な事はしていません。

もしお疑いでしたら、
『私の波長に合わせて下さい』と念じながらシャッターを押して下さい。
但し、何か可笑しなモノが写っていてもご自分の判断で処理して下さい。


幽霊とお化け

2005-08-17 11:12:50 | Weblog
幽霊は特定の人に憑き、お化けは場所で、不特定な人に憑くのだと聞きました。

マキの話から半年後位の事だったと思います。
結婚前の妻は東大裏の文京区根津で生まれ20才まで過ごしました。
昔は藍染町と呼ばれたのだそうで、
今もその当時の面影が残っている場所が在ります。
湯島天神が近くで子供の時は遊び場だったそうです。

根津から埼玉の新座市に引越しをしました、最寄の駅はひばりヶ丘です。

この頃スカイラークと言うレストランが開業しました、
開業地がひばりヶ丘だったのが命名の云われだそうです。
神田の美人喫茶スカイラークとは関係が無かったのでしょうか?

ひばりヶ丘の自宅から、
車でそう遠くない場所に平林寺という有名なお寺が在ります。
松平家の菩提寺だそうで、関東で名高い古刹の一つで臨済宗妙心寺派の禅寺だそうです。
近くで有名な場所だから1度は行った方が良いと地元の方に勧められ妻の両親と4人で行く事になりました。
広い境内に見物客が大勢いましたが、場所が場所だけに騒がしい事はありまでした。

11PMで霊の写真の取り方を大橋巨泉さんが話をしているのを覚えていました。
『写したい場所に行ったらカメラを向け、私の波長に合わせて下さいと念じてシャッターを切ります』と言っていました。
この事を妻に話しましたら『面白そうね~』と、なり、カメラを持って出掛けました。


今日は三島大社のお祭りの中日です

2005-08-16 11:21:14 | Weblog
お盆と三島大社の祭りが終わり東京に戻りました。
姉は小学生の時のマキの事を覚えていましたので、この事を話しました。

『そう言えば田舎に帰る前、タカシ、あんた毎晩うなされていたわね~』と姉。
『え~、うなされていた~、本当?』と僕。
『言って良いものか悪いのか分からず黙っていたけど、毎晩うなされていたわよ~』と姉。
この時、うなされていた事を初めて知りました。

これ以来マキは姿を現す事はございません。
きっと僕の事が懐かしく思ったのでしょう。
マキの天命が全うされていますように、守護霊様、守護神様、お守り下さい。

22年前の8月15日、0才児の娘が・・・


階段ではありません・・・

2005-08-15 11:21:59 | Weblog
8月12日午後2時頃だったと思います。

玄関に向かってコンクリートを歩いて来る足音が、ピタピタ、ピタピタと近づいてきます。
それから芝生に下りたらしくサワサワサワと芝生を歩く足音に変わり、テラスのコンクリートに上がる音がしました。
先程帰った山口が戻って来たと思い、両肘を突き上半身を起こしました。

声を上げる事が出来ない位驚き、全身総毛立ちました、
網戸に顔と両手の平を付け、こちらを見て微笑んでいる顔は紛れも無くマキです!

同級生で親しかった間柄といえ、彼は死んでしまった人です。
金縛りと言うのでしょうか、全身がコワバッテ動きません、もの凄く怖いという思いだけでした。

彼はニコニコ微笑んでいますが、何も喋りません。
唯ニコニコしているだけでジットこちらを見ています・・・
数秒の事でしょうが、時が止まったかのように長く感じました。
『明日山口と一緒に、お前の墓参りに行く積もりだったんだ』と頭の中で考えた瞬間、彼はスーっと消えました・・・

その後、何が有ったのか分かりません、意識が戻ったのは夜の7時過ぎで、
全身が筋肉痛のような感じで気だるかったのを覚えています。

次の日、山口と二人で花とお線香を用意しお寺に行きました。
彼の墓は直ぐに分かりました、新しい供え物と飾りがして在ったからです。

次の日はお盆の入りです、マキの家族と顔を合わせたくありませんでした。
高校生の時、バイク事故で亡くなった同級生の葬儀に出席した時、
母親が僕達を見る目を思い出したからです。

でもその夜は一人で過ごすのが・・・


お盆の入り前の話

2005-08-14 17:00:39 | Weblog
何故、日にちまで鮮明に覚えているかといいますと、
お盆の入り前だったからです。

最初の電話から2週間後位、この話の1週間位前に、
山口から再び電話が有り、マキが亡くなった事を知らされました。

10日の夜家に着き、山口に電話をし、明日会う約束をしました。
当時母は、
熱海に住み込みで働いていて時々掃除に帰る位で殆んど空き家でした。
ですから僕に取っては良い遊び場で溜まり場でした。

山口はスバル360に乗り10~11時頃やってきました。
事故の詳細は覚えていません、
二人でお盆入りの前の明日墓参りに行く約束をしました。
普段なら一緒に昼食を食べて帰るのですが、
その日は忙しいと言い午前中で帰りました。

お昼ご飯を済ませ、上半身裸に短パン姿で庭に足を向け、
座布団をマクラ代わりで寝転びマンガを見ていました。
当時はエアコンなどなく網戸に扇風機です。
多分ビッグ・コミックだと思います。
創刊以来買い、ゴルゴ13が好きで何度も見ました。
午後2時頃だと思います。


あなたは信じますか?

2005-08-13 10:43:12 | Weblog
あれは僕が23才頃、35年位前の8月の今頃の話でございます。

解体直前の写真です、この家で起きました。
今、道は舗装されていますが、
当時は舗装されておらず、轍以外は草がボウボウに生えていました。
又車で通る人も居ませんでしたので、
道に車を止めて置いても、とがめる人も居ませんでした。

玄関は扉に成っていますが当時は引き戸でした。
扉の両側に白い格子が有りますが、
そこまで引き戸2枚で開け閉めをする作りでした。

玄関に向かって左側に車3台分の駐車場、
道路から玄関まで5~6m位まで60Cm幅でコンクリートの道、
右側の出っ張った部屋、サンルームは無く、
サンルームの奥の部屋を茶の間として使っていました。

茶の間の前が小さなテラス、テラスの前は小さいながら芝を植え庭でした。
写真でレンガが在る場所は芝生で、サンルームはテラスの1部でした。

この話の3週間位前、同級生で函南町間宮の山口電気の山口重幸君より、
当時僕が住んでいた練馬の姉の家に電話が有りました。
『マキ、覚えているよね?交通事故しちゃってさ~、逓信病院に入院したんだよ』
『え~、交通事故したって・・・怪我は酷いの?』と僕。
『だいぶ酷いらしい、一緒に見舞いに行こう』と山口。
『うん、分かった、もう直ぐ三島大社のお祭りだから帰ろうと思っていたんだ』と僕。

植松牧男君とは小学校6年生の時、同じクラスで家も近かく、
中学に通うようになりクラスは違っても一緒に遊びました。
彼は『マキ』と親しい人には呼ばれていました。
同じバレーボール部に入り、夏休みの練習には一緒に出掛け、
帰りにかき氷やスイカを食べたり、勉強も一緒にした中でした。

8月15日~17日までの三日間は三島大社のお祭で、お盆です。



異業種交流

2005-08-12 09:10:31 | Weblog
昨日は朝からバタバタと出掛けていました。

つばめの子供2羽は無事に飛び立ったようです、マンションには可愛らしい産毛が残っていました。
年少者が何か言うと『クチバシが黄色い』言いますが雛鳥を見ますと頷けますね。

夕方から沼津で異業種交流が有りまして出席してきました。
大学の教授に外科手術のビデオを見せて頂きましたが、ちょっとした工事という感じでした。

石原裕次郎さんと同じ大動脈瘤の手術ですが、
血管は3重構造に成っているのだそうで、その壁と壁の間に血液が入ってしまい出来るのだそうです。
血管が3倍位に膨らみブユブユしていて壁と壁の間の固まった血液はコーヒーゼリーの様な感じで、カレー・スプーンで完全に取れるまでかき出し、人工血管で繋ぎ、今までの血管を被せるのだそうです。

コレステロールの手術は、
血管を開き拳大のコレステロールをやはりカレー・スプーンでかき出していました、
コレステロールは溶いた卵を固めたような色で黄身の様な感触の感じです。
人工血管を繋ぎブヨブヨの血管を被せて終わりだそうです。
何故ブヨブヨの血管を被せるかというと、癒着が起き難いそうです、不思議ですね~!

心筋梗塞の患者の手術は、胸骨を電動ノコギリで開き縫い合わせはスレンレスの針金でした、当然ペンチで針金を切断です。

腸の辺りの手術は、腸を戻す時に塩水を入れ頭と脚の方を持ち身体をゆすり腸を中に入れるのだそうです。
『不思議ですよね、戻るべき所に戻るんです』と仰っていました。

この方達の腸や心臓には黄色いプリンの様なモノが付いています、内臓脂肪だそうです。
オムレツにアンカケを掛けた感じでテラテラしていました。

『何故脂肪を取らないのですか?』と僕。
『脂肪の中に血管が通っていて傷つけると大量出血の可能性が有りますのでそのままにします』と先生。
『脂肪吸引は如何なんでしょう?』と僕。
『非常に危険で事故が多発しています』と先生。

病気に成る原因の多くは、肥満だと思います!

コタラは同じ大学の先生に観て頂いておりますが、
面白い事が少しづつ分かってきました。



今取り壊し中の少年期に過ごした家の写真です、
明日はこの家で起こった不思議な出来事を話します。

2005年8月10日

2005-08-10 09:27:27 | Weblog
今日は僕の58回目の誕生日です。
でも58回も誕生日を迎えた実感が有りません。

物心付いた頃から今までの事は連続です、
ですから今も3才や20才の気持ちを持っていますし、
今もって好奇心も人一倍だと思います。
「コタラ、コタラヒム、コタラヒムブツ、サラシア」と、
云われる植物を知ったのも好奇心からでした。
この植物の不思議さを実験ではなく、
実体験しているのは僕が一番だと自負しております。


妻には、
年で洋服や持ち物を選びなさいと言われますが、
自分が着たい服を買います。
当然似合うと思い試着して買いますが、
家に帰りいざ着ようとすると派手だったりして社員に渡す事もしばしばです。
気に入ったメーカーが見付かると、
そこの物ばかり着ますので新鮮さが無いかも?と想う事も有ります。

以前は妻が買ってきてくれた事も有りますが、
気に入らないと絶対に着ない、身に付けない、
僕の性格を知り、今は買ってくる事はありません。

僕は靴下、パンツまで自分で見つけてきます、
考えようでは、楽な存在だと思います。

この頃、
赤系統のピンク、オレンジなどに目が行きますので、
『おや?』と、自分で思う事が有ります。
以前はブルー、グレー系統が好きでしたので歳なのでしょうか?

好きな色、
欲する色は自分に足りないモノを補うという意味が在るそうです。
外国人が年を取ってくると派手な洋服、
アクセサリーを身に着けるのは無くなったモノ、
足りなくなったモノを補っているのだそうです。
年を経る事で似合う色やアクセサリーは有りますね。



8月に入り急に思い立ったのですが、
僕が高校1年生の時、
母が姉の助けを借り建てた家の取り壊しを考え始めました。
冬になると空気が乾燥し粉塵が飛び交うのでこの時期を選びました。
この家を出たのは17年前、
その後鶴田君が10年住みました。
社員のために取って置いたのですが入居者がいず、
7年空き家でしたので放火でも遭ったらと思い壊す事にしました。
思い出の詰まった家を壊すのは辛いですね。