戦後まもなく辺りまでは家族が多かった。
子供が10人などさほど珍しくない。
日本中にビッグダディが山ほどいたのだ。
それは年寄りの名前にも顕著に表れている。
八郎、九朗等はよく聞く名前だった。
多く生んでも乳幼児の死亡率が高く全部が育つ訳ではない。
だからこそ産んでおくという考え方もあったようだ。
無事に育てば育ったでまさに貧乏人の子沢山。
誰がご飯を食べ終えたのかも定かではない中、子供たちは逞しく生存競争に明け暮れたのである。
そんな中でも長男は別格だった。
特に戦前はその地位が民法上確立されている。
全ての財産は長男が受け継ぐ、これが戦前の決まり。
それ以外の子供にはびた一文分ける必要は無かったのである。