http://www.sankei.com/west/news/160725/wst1607250041-n1.htmlより引用
世界遺産に「長崎教会群とキリスト教関連遺産」再推薦決定
文化審議会
2016.7.25 13:42
国の文化審議会は25日、2018(平成30)年の世界文化遺産登録を目指し、現存する国内最古の教会で国宝の大浦天主堂(長崎市)を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」(長崎、熊本)を国連教育科学文化機関(ユネスコ)にあらためて推薦することを決めた。当初は今夏の登録を目標として2015年1月に政府推薦書を提出したが、ユネスコ諮問機関・国際記念物遺跡会議(イコモス)の厳しい指摘を受け、今年2月に取り下げていた。
政府が来年2月1日までに推薦書を再提出し、イコモスとの意見交換を経て、18年夏のユネスコ世界遺産委員会で審査を受ける。長崎、熊本両県はイコモスの指摘を踏まえ推薦内容を見直しており、今回は高い評価が得られると期待している。・・・・
**************************:
長崎の教会群インフォメーションセンター

ようこそ、「長崎の教会群」へ
「長崎の教会群」は、日本、とりわけ長崎がキリスト教と出会い、繁栄から禁教を経て復活する歴史を刻んでいます。教会群を訪れ、歴史や文化を学ぶとともに、教会を中心とした暮らしや周囲の自然に触れ、心が穏やかになるひとときを感じてください。私たちは皆さまをこころよくお迎えします。
教会の見学に当たって、お願いがあります。まず、教会は「祈りの場」ですので、見学マナー(詳しくはこちら)を守り、厳粛な雰囲気の中で心静かにお過ごしください。また、【事前連絡】をお願いします。これは、教会行事等により見学できない場合や、教会によっては一度に多くの見学者を受け入れられない場合もあるためです。
長崎の教会群インフォメーションセンター
概要
1549年、宣教師フランシスコ・ザビエルが来日し、翌年に平戸で布教、キリスト教は戦国大名らにも広がりました。初のキリシタン大名・大村純忠が、南蛮貿易港として開港した長崎は教会が立ち並び「小ローマ」とも呼ばれました。島原半島や天草でもキリスト教文化が花開き、4少年を天正遣欧使節としてローマに送り出します。 しかし、豊臣秀吉による伴天連追放令や日本二十六聖人の殉教など流れは変わりました。徳川幕府も鎖国と禁教の姿勢を強め、島原の乱を機に徹底的な弾圧を加えます。仏教に改宗しない信者たちは、神父が不在の中、自分たちで洗礼を行うなど潜伏信仰を続けました。
日本の開国とともに、長崎に外国人のための大浦天主堂が建てられると、浦上村の潜伏キリシタンが訪れて信仰を告白(1865年3月17日)。これが世界宗教史上の奇跡と呼ばれる「信徒発見」です。明治政府になってからも禁教は解けず、「浦上四番崩れ」で信者3千人以上が迫害を受けました。
諸外国の批判の高まりで、1873年にキリシタン禁制の高札が撤廃されます。潜伏キリシタンの多くはカトリックに復帰し、信仰の証として競って教会を建築しました。潜伏していた山中や浦々に建てられた教会は、自らの労働奉仕で造られ、信者の思いの強さがしのばれます。