爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

ここに行けば玉の輿

2021-07-04 23:34:54 | 日記
結婚するなら玉の輿に乗りたい、という女性が見逃せないのが、京都にある今宮神社だ。

今宮神社は、徳川3代将軍家光の側室となったお玉とのゆかりが深い神社として知られている。

後に桂昌院となるお玉は、西陣で手広く野菜を扱う八百屋の娘として生まれたのだ。

その後、家光の側室であるお万の方に仕え、春日局の部屋子となった。

そこで家光に見初められて側室となり、5代将軍綱吉となる徳松を産み、将軍の生母として従一位の位まで上り詰めた。

当時の江戸では最高の玉の輿ストーリーといえるだろう。

一方で、お玉は出世した後も故郷を忘れる事はなかった。

西陣の氏神の今宮神社が荒廃している事を聞いたお玉は、1694(元禄7)年に社領百石の寄進を行って社殿の修復をし、牛車や鉾(ほこ)を新しく造って今宮祭を整備、途絶えていた歳事「やすらい祭」の復興にも尽力した。

こうしたお玉とのゆかりが深い事から、今宮神社はいつしか玉の輿のご利益があるといわれる様になったのだ。

今宮神社の玉の輿守りは、お玉の生家にちなんで、西陣織の生地に野菜の図案が織り込まれたものだ。

ただし、神社の公式ホームページのよれば「感謝を忘れない心暖かな幸を願うお守」で、ただ単に「玉の輿に乗れる」というものではないとある。

今宮神社とお玉の逸話からは、映画などでも取り上げられた華やかな生涯にあって、故郷を忘れず礼を尽くすという彼女の誠実な面が浮かび上がる。

江戸時代最高のシンデレラガールにあやかりたいなら、まずその心持ちを見習う必要があるのかも知れない。





神功皇后

2021-07-04 09:19:38 | 日記
じんぐうこうごう。

悲劇的な最期を遂げたヤマトタケル尊の子である第14代・仲哀天皇の妃だったのが、神功皇后なのだ。

名前はオキナガタラシヒメ命。

第9代・開化天皇の6世の孫娘である。

『古事記』の中では、彼女は巫女として描かれている。

夫である天皇とともに、再び反乱を起こしたクマソ討伐に向かうが、途中香椎宮(福岡県)でアマテラス大神と住吉三神による神託を得て、攻める国を変更するように進言する。

だが、天皇は神託を信じず、神をののしった。

そのため神の怒りにふれ、命を落としてしまう。

皇后は夫になり代わり、神託にあった西方の宝の国・三韓(古代の朝鮮半島にあった国)に向かうことにした。

この時皇后は、亡き夫の子を身ごもっていた。

そして、三韓への遠征途中に臨月を迎えるのだが、霊石を当てて腹を冷し、出産を遅らせたといわれるのだ。

三韓遠征に成功した皇后は帰国後、筑紫国(福岡県)で出産する。

生まれた子が後の第15代・応神天皇である。

その後、彼女は応神天皇が即位するまで、実に79年間も摂政を務めていたという。



エデンの園

2021-07-04 02:25:54 | 日記
「楽園」といえば、外せないのが「エデンの園」だろう。

『旧約聖書』の中の「創世記」第2、3章に見られるエピソードが、理想郷・エデンの園とそこを追放されるアダムとエバ(イブとも)の話である。

聖書によると、エデンの園は東方にあるらしい。

人類の祖であるアダムとエバは、このエデンの園を管理する為に、神によって置かれたという。

アダムとエバはこの地で神に守られ、人間としての欲望を持つ事なく暮らしていた。

園の中央には生命の木と善悪を分かつ知識の木が1本ずつ植えられ、周囲には食べられる果実の木が植えられた。

ある日エバは、人間を神に背かせようとする蛇にそそのかされ、知識の木の実を食べてしまった。

エバはアダムにも知識の木の実を食べる事を勧めた。

この実を口にする事で善悪の知識を身につけた二人は突然、裸でいる事が恥ずかしいと思う様になり、イチジクの葉で陰部を隠した。

神はその姿を見て二人がした事を知り、激怒した。

そして神の命令に逆らい、実を食べた罪としてアダムとエバは呪われ、エデンの園を追放される事になるのだ。

この出来事以降、人類が必ず死ぬようになった事以外にも、男は地が呪われて収穫が減ったため、労働の苦役を強いられ、女は男に隷従して出産の苦しみを得るようになった。

そして蛇は神の呪いを受け、永遠に地を這いずる事となったのである。

アダムは 930歳で死んだが、エバについては不明である。

アダムとエバを追放した後、神は生命の木を守るため、エデンの東に4つの顔と4つの翼を持ち、知識を司る天使であるケルビムと、回転しつつきらめく炎の剣を置いたという。

なお、エデンがどこに存在したのかについては、古くからさまざまな場所が主張され、議論されてきた。

たとえば、多くの人々が主張しているのが、西アジアのアルメニア周辺だ。

この説を支持するユダヤ教の伝承によれば、エデンはアルメニアの現在の首都エレヴァンにあったという。

ちなみに、エレヴァンの近くには、ノアの箱舟が流れ着いた場所との説があるアララト山がある。

このほか、エデンの園があったとされる時期、すなわち、紀元前6000年ごろは海面がもっと低かったため、現在は海となっているペルシア湾やメソポタミア南部に比定する説もある。

エデンはヘブライ語で「歓喜」を意味する。

そしてエデンの園のギリシア語訳が、英語の「楽園=パラダイス」の語源となっている。