結婚するなら玉の輿に乗りたい、という女性が見逃せないのが、京都にある今宮神社だ。
今宮神社は、徳川3代将軍家光の側室となったお玉とのゆかりが深い神社として知られている。
後に桂昌院となるお玉は、西陣で手広く野菜を扱う八百屋の娘として生まれたのだ。
その後、家光の側室であるお万の方に仕え、春日局の部屋子となった。
そこで家光に見初められて側室となり、5代将軍綱吉となる徳松を産み、将軍の生母として従一位の位まで上り詰めた。
当時の江戸では最高の玉の輿ストーリーといえるだろう。
一方で、お玉は出世した後も故郷を忘れる事はなかった。
西陣の氏神の今宮神社が荒廃している事を聞いたお玉は、1694(元禄7)年に社領百石の寄進を行って社殿の修復をし、牛車や鉾(ほこ)を新しく造って今宮祭を整備、途絶えていた歳事「やすらい祭」の復興にも尽力した。
こうしたお玉とのゆかりが深い事から、今宮神社はいつしか玉の輿のご利益があるといわれる様になったのだ。
今宮神社の玉の輿守りは、お玉の生家にちなんで、西陣織の生地に野菜の図案が織り込まれたものだ。
ただし、神社の公式ホームページのよれば「感謝を忘れない心暖かな幸を願うお守」で、ただ単に「玉の輿に乗れる」というものではないとある。
今宮神社とお玉の逸話からは、映画などでも取り上げられた華やかな生涯にあって、故郷を忘れず礼を尽くすという彼女の誠実な面が浮かび上がる。
江戸時代最高のシンデレラガールにあやかりたいなら、まずその心持ちを見習う必要があるのかも知れない。