沖縄県にある与那国島は、日本最西端の島として知られている。
沖縄本島よりも台湾の方がはるかに近いこの絶海の孤島は、16世紀に琉球王朝に組み込まれるまで、女酋長のサンアイイソバが治める独立した島だった。
その女酋長の碑が立つのがティンダハナタと呼ばれる岩山で、今でも島のパワースポットとして、神秘的なオーラを発している。
現在ののどかな島の様子からは想像しにくいが、この地にはかつてむごたらしい風習があった。
17世紀に琉球王朝は薩摩藩に支配された事によって「人頭税」が導入された。
人頭税とは個人の財産に関係なく、一人あたり一律の税が課せられるというものだ。
この過酷な税は小さな島に重くのしかかった。
そこで、行われたのが「人減らし」なのである。
人減らしは予告なしの合図で始まる。
その合図が鳴れば、島の男たちは一斉に決められた水田へと走る。
そして時間内にたどり着けなかった者は、そこで終わる。
主に体の弱い者や年寄りの命が、奪われていったのだ。
また、別の場所では岩場に出来た幅3~5m、深さ7~8mもある割れ目を妊婦に飛び越えさせるという人減らしも行われた。
どうにか飛び越えた者は生き残るが、その多くが流産したであろう事は容易に想像できる。
これらの場所はそれぞれ「人升田(トゥングダ)」「久部良(クブラ)バリ」という名で、今も島に残されている。
聖なる島に秘められた悲劇の場所は、過酷な税に苦しめられた島の歴史の生き証人なのだろう。