日本を代表する金融街である日本橋兜(かぶと)町に、投資家や証券マンの篤い信仰を集める神社がある。
その名も兜神社だ。
東京証券取引所のビルの北側で、首都高速道路の江戸橋ジャンクションの高架下という味気ないとも言えなくない場所にある。
一説ではこのエリアには江戸時代に、平将門(たいらのまさかど)を祀った鎧(よろい)神社と、源義家(みなもとよしいえ)の兜が埋められた兜塚があったという。
鎧神社は現在の鎧橋の近くに、かつての水上交通の要所だった「鎧の渡し」のあった所に建っているのだが、1871(明治4)年に三井財閥がそこに商社を移転する事になった。
その時、鎧神社と兜塚は合祀され、兜神社に生まれ変わった。
平将門と源義家という伝説の二人が一緒にされたのだ。
本人らもまさかここで一緒になるとは思っていなかったに違いない。
だが、その期間は3年と短く、三井家は源義家を祀ることをやめ、みずからが信仰していた大国主命(おおくにぬしのみとこ)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の霊を祀ることにした。
さらに、1878(明治11)年に東京証券取引所の前身である、東京株式取引所が設立されることになった。
その時、東京株式取引所が代表世話役をかって出ることになり、それ以来証券界の守り神として崇められる様になったのだ。
その後も高速道路の建設などにともない、解体と移転が繰り返され、鉄筋コンクリートの姿になって現在の場所に落ち着いた。
そんな経済界の事情に翻弄された兜神社は、今日も金融街の片隅で日本経済の行く末を見守っている。