紀元前1世紀のローマ詩人のウェルギリウスの『アエネイス』は、トロイアの武将アエネイスが戦場を逃れてイタリア半島に到着、ローマ建国の祖となるまでを描いた叙情詩である。
この中に、アエネイスがハ(ー)デスが統治する地下の冥府に下る話がある。
そこから、ギリシア神話における死後の世界の有様を知る事ができる。
硫黄の立ち込める地上の亀裂か、冥府の入口である。
ギリシアにはこの様な冥府に通じる亀裂が、いくつかあるという。
真っ黒な洞窟を下って行くと、途中の道には悲嘆、復讐、不安、恐怖、飢餓、死などの亡霊がうごめいている。
やがて、ステュクス川の支流のアケロン川に到着する。
そこでは渡し守のカロンが正しく葬られた亡霊と、そうでない亡霊を分けていた。
きちんと葬られていない不幸な亡霊は、川を渡して貰えず100年間も川岸をさまよう事になるのだ。
ちなみに、地下の冥府を七重に取り巻く大河であるステュクス川は、不死をもたらす神水でもある。
川を渡ると冥府の門がある。
ここは頭が三つ、蛇のたてがみ、竜の尾を持つ地獄の番犬ケルベロスが守っている。
門を入って先に進むと、道が二つに分かれる。
左に行けば地獄、右に進めばエリュシオンの野と呼ばれる極楽だ。
『アエネイス』では右に進むので、地獄の描写はない。
ところで、地獄と言ってもギリシア神話の地獄は、とくに悪人でもない普通の死者たちの霊魂が訪れる所で、責め苦がある訳でもなく、さして過酷な所ではない。
ただ亡者たちは影の様な存在でいるしかなく、決して楽しい所ではない。
本当の地獄は、冥府のさらに地下にある。
タルタロス=奈落がそれだ。
神を冒涜した極悪人はここに幽閉され、永遠に続く苦しみを与えられる。
青銅の壁で囲まれたタルタロスは、脱出不可能なのだ。
常に霧が立ち込め、神々ですら恐れて近寄らない空間なのだという。
では、冥府の分かれ道を右に進んだ先にある、エリシュオンの野とはどんな所なのか。
『アエネイス』では、アエネイスの戦死した父がここにいた。
そこは紫色の光に照らされた空気の清々しい地で、神の許しを得た者だけが永遠の生命を謳歌できるという。
ただし、その肉体は目に見えても幻影であり、実体は伴っていないのである。
なお、エリュシオンの野は冥府ではなく、オケアノス(大洋)の彼方にあるとも言われている。