源義経といえば、波乱に富む人生を駆け抜けた源氏のヒーローとして、今でも人気が高い。
義経は平家との戦いで華々しく表舞台に登場するものの、兄である源頼朝の怒りをかい、逃亡の日々を送る事になる。
そして、最期は10代の日々を過ごした岩手県平泉に戻り、頼朝のさらなる圧力に屈して、みずからの命を絶ってしまう。
というのが、義経の最期だったと多くの歴史書は伝えている。
しかし、じつは平泉で自害したのは義経の影武者で、本人は蝦夷地(北海道)に逃れたのではないかという説もあるのだ。
それを裏付ける様に義経が上陸したとされる函館をはじめ、札幌など北海道の各地に義経にまつわる伝説がある。
日髙地方もその一つで、ここには義経神社があるのだ。
神社に残された史料によれば、北海道に逃れた義経一行は日髙ピラトリ(現平取町)のアイヌ集落に落ち着いた。
そして、義経は外敵からアイヌ民族を守りながら、農業や舟づくり、はた織りなどを教えたというのだ。
江戸時代になって北方探検家の近藤重蔵が北海道を訪れ、各地に義経伝説があるの知ると、江戸の仏師に義経の像を彫らせる。
その像を祀ったのが、義経神社なのである。
そして、崖をも馬で掛け降りた義経の武勇伝と、サラブレッドの産地である日髙地方のイメージを重ね合わせ、この神社は「競馬の神」となり「愛馬息災」を願う人々の聖地になっている。