爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

求め過ぎない

2021-12-05 18:23:39 | 日記
お金があれば、欲しいものが買える。

欲しいものが買えれば、ああ嬉しい…と思う。

この「ああ、嬉しい」という気持ちが有れば有るほど、人生は幸福なのだ。

地位が上がれば、だんだん自分に自信が持てる様になる。

自信が持てると、毎日の生活に活気が出てくる。

活気が出てくると、仕事は充実してくる。

孔子は、「富と尊きとは、是れ人の欲する所なり」と、言っている。

もし、富を求める心、豊かさを求める心が無くなったら、二・三日でこの世の中は活気を失い、死んだ様になってしまうだろう。

人に、ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたい、という欲望があるから、人生が、どんどん幸福になって行くのだ。

欲望が悪いとするのは、頭から人生の幸福を否定するものだ。

禅僧の道元(1200~53)の言葉に「多欲の人は、多く利を求むるが故に、苦悩も亦多し」とある。

経済的な豊かさを求める事は、決して悪い事ではない。

仕事を頑張って、その頑張った事への報酬を貰う。

こんなに嬉しい事はないのだ。

道元は、多欲がいけないのだ、という。

もっと、もっとと際限なく富貴を求めると、それにつれて、必ず苦しみと悩みが増加する。

苦悩が増えるどころか、風船をふくらませすぎたように、人生がパチンと消える。

とにかく、注意しなくてはならないのは、欲望にキリがない、という点だ。

自分の力以上の欲望を満たそうと、見栄を張り続ける人間には、幸福はない。




威張らない

2021-12-05 09:19:50 | 日記
名誉、地位、財産、そのどの一つを身にしても、辺りに驚異のストレスを与えてしまうものだ。

自分では、そんな積もりは無くても、周りが勝手に勢いを感じて、恐れてしまう。

ましてや、胸を張って大声を張り上げ、辺りを怒鳴り散らかす様な事が事があると、側の人が受ける迷惑は、甚だしいモノになる。

自分の人生の威勢が良くなったら、他人を屈服させる様な態度を取ってはならない。

「威在りて、猛からず」ーー孔子は自分の威力が付いた時には、決して威張ってはいけない。

「温にしてはげし」、つまり春風の様な暖かい態度の中に、秋風の様な涼しげな態度を取るのが、いいと言っている。

更に、自分が得たモノを、他人が持っていなくても、軽視したり笑ったりしないで、こうして自分が名誉や地位を得られたのは、全て「孝」のおかげである。

一切が「大孝」の力によるモノであり、決して驕慢な心を発する事なく、自分を様な事は、慎まなくてはならぬと…。

威張ると不幸になる。謙虚に生きれば美しい。

これは、自然の鉄則である。

龍沢寺の接心(絶え間なく座禅する修行)の最終目的は徹夜であった。

七日目の夜の厳しい修行に命を掛けた。

私は当時二十二歳。

夜半から雪が降った。

闇の戸口から雪が堂内に舞い込む。

「鉢を持て!」大声が響いた。

みなが鉢を自分の前に置く。

一人の僧が湯気の立つ桶を下げ、お汁粉をついで回る。

私の前に丁寧に合掌して、お汁粉を鉢に下さる時、ハッとした。

当山の大老師・山本玄峰(九十歳)であった。

「ご苦労なこっちゃ」とおっしゃって、再び深々と合掌された。

臨済宗で当時最高峰の権威者であった玄峰老師は、秋の夕日を浴びて野に立つ農夫の様に美しく、そしていつも優しかった。