爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

生まれてきた「奇跡」に感謝する

2021-12-14 22:28:32 | 日記
生き物の生命は、たった一つの細胞からスタートする。

自分の体は、手かあり、足があり胴体があって、こんなにも大きいが、出発点は父の精子の一粒が、母の卵子にたどり着き結合して、一つの細胞が二つに、二つが四つに、四つが八つに、八つが十六に、次々と倍加して、鼻や目や毛髪や爪を作ってくれたのである。

ケイ君はケイ君の様に…。

さおりちゃんはさおりちゃんの様に…。

「孝慈なれば則ち忠なり」ー孝、つまり、宇宙の生成力くらい優しくて、愛が深く憐れみの深い力はない。

自分の利益は、まったく意識せずにケイ君はケイ君の様に、さおりちゃんはさおりちゃんの様に、忠(まごころ)をもって生成してくれたのである。

一口に親孝行と言っても、決して自分の両親敬い、感謝するのでない。

両親に働いている宇宙の生成力によって、自分が人間として無事に誕生した事に感激し、感謝するのだ。

例え自分の親が毎日飲みほうけて、遊んでばかりいても、両親に働いていた宇宙の生成力に合掌すればよいのだ。

私たちの体は、何と六十兆以上の細胞によって出来ている。

一、十、百、千、万、十万、百万、千万、一億…と数えていって、兆の数がどれくらいか、まったく想像も出来ない。

しかも、その一つの細胞がしっかりと生きている。

皆な宇宙の生命の群れだ。

ここで、よく考えてみなくてはならないのは、この細胞の一つひとつは、ちょっぴりたりとも、自分の利益を考えていないと言う事だ。

お互いにしっかりと手を取り合って、ケンカ一つもしない。

乱れ苦しむ事もしない。

これでも、宇宙に感謝出来ないのか。






迷ったら「本能」に従ってみる

2021-12-14 07:57:00 | 日記
言論の自由は、結構な事である。

が、これを濫用し過ぎると、人間関係がこじれてしまう場合も多い。

言いたい事を声高く撒き散らし、それぞれが自分の権利だけを主張してやまない…と言う事になれば、皆でいくら努力しても、なかなか和やかで、平和な社会は育てられない。

「君子は本を務む」

君子(寛大なる人格者)は、生命の本の働きに、心を向けて生きていく。

私たちが生きている世の中と言うモノは、どこもかしこもゴチャゴチャと
入りくんでいて、何処をどう歩いて良いかよく分からない。

そんな曲がりくねった道を、迷わず歩いて行くのは簡単ではない。

その上、皆から言いたい放題に「いや、あっちはダメ」「いや、そってもダメ」と、チェックばかりされたのでは、にっちもさっちも行かなくなる。

こんな混乱の時こそ、自分の生命の根元をしっかり見据えて、自分の生きて行く方向を決めたいもの。

「手を打てば、下女は茶を汲む、鳥は発つ、魚寄り来たる猿沢の池」

奈良の猿沢の池畔の茶店に休んだ客が、ただ手をパチンと叩けば、茶店の女中さんは「ハイハイ」と言ってお茶を出すし、鳥はパッと飛び立ち、魚はエサを投げてくれると思い寄って来た。

パチンと手を打つ現象が、それぞれの受け取り様によって、こうも違ってくるのだ。

「あっちはダメ」「こっちは良い」がまったくない。

これが本(宇宙・自然)の在り方なのだ。