素晴らしい着想を頭に浮かべ、頭をいつも閃かせて、常に集中して仕事に当たり、積極的に汗をかいて努力したからこそ、自分はこの富と貴い地位を得たのである。
この成果は、全て自分の努力一つによったモノである…。
ついいつの間にか、胸を張って威張り出す。
人間とはまことに、ちっぽけである。
実は宇宙の生成力は、人間の体の隅々に活々と生きている。
人間は宇宙の活動体である。
着想を浮かべるのも、宇宙の力、頭の閃きも、宇宙の力による。
人間はそれを自分の力だと錯覚するから、ちょっと金を儲けたり、ちょっと地位が得らたりすると、もう傲慢になって、「オレが、オレが…」と自慢ばかり言い出す。
まったく格好が悪い。
自分がこうして富を得られたのも、名誉ある地位に就けたのも、一切合切が自然の力、つまり徳の力だと感謝出来る人が「徳の人」と言う。
自分だけの努力だと思い込み、宇宙の生成力に感謝出来ない人を「不徳の人」と言う。
「富貴天に在り」。
孔子は、富貴は全て天命によると主張する。
が、一般に財貨を多く得たり、思いのほか位の高い名誉を受けたりしたら、まずは自分が成功を夢見て、努力を重ねたから、その夢が実現出来たと思う。
それはその通りなのだ。
問題なのは、富貴さえ得たら、手放しで喜べる幸福がやって来たかどうか、と言う点だ。
社会的成功を収めたのに、自分は不幸だと思って「成功うつ」になる人をは大勢いる。
財貨や名誉を受けたのは、天の力であると感謝すれば「うつ」は治る。