爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

自由自在に生きる

2021-12-20 09:06:36 | 日記
孔子の一生はこうだ。

「我、十有五にして学に志す」
私は十五歳頃から、古典の人間学を勉強しようと決心した。

「三十にして立つ」
三十歳になった時に、私は天道や天徳について勉学する事を、一生のテーマにしようと決意した。

「四十にして惑わず」
四十歳の頃、名誉や地位、富貴についての惑いが襲い掛かって来たが、自分は自分の志した、天道や天徳の学問への研修を不動のものにした。

そして、五十歳…「五十にして天命を知る」

孔子は学問と瞑想によって、ついに天命を感知したのである。

天命とは、天徳であり天道である。

つまり、孔子は宇宙の根本的な生命の心理を、悟ったのである。

「六十にして耳順(した)がう」
天命を知るとどういう事になるか。

何を聞いても「ああ、そうか」と頷けるし、世の中の善悪の評価に心が動じなくなった。

「七十にして、心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」
七十歳になったら、心の欲するままに行動しても、天道に外れる事がなく、常に仁徳の心と共に、自由自在に生きる事が出来たという事だ。

彼の七十代こそ、一切の価値を解脱した悟りの人生であった。

一休さんが森女を迎えたのは、七十七歳の時であった。

応仁の乱の兵火を避けて、盲目の美女の森女が酬恩庵(しゅうおんあん)の門前に立ち、細く美しい声で歌い「一休様の傍で、いつもお聞かせしとうございます」と言った。

戦火の中で旅芸人の森女は、寝る所を失い、涙にくれて生きていた。

一休は酬恩庵の中に招き入れ、森女を救った。

破戒僧として、大徳寺からも批判された。

弟子たちも去った。

世評も厳しかった。

が、一休は一切を超越して、天命の愛に生きた。