孔子の一生はこうだ。
「我、十有五にして学に志す」
私は十五歳頃から、古典の人間学を勉強しようと決心した。
「三十にして立つ」
三十歳になった時に、私は天道や天徳について勉学する事を、一生のテーマにしようと決意した。
「四十にして惑わず」
四十歳の頃、名誉や地位、富貴についての惑いが襲い掛かって来たが、自分は自分の志した、天道や天徳の学問への研修を不動のものにした。
そして、五十歳…「五十にして天命を知る」
孔子は学問と瞑想によって、ついに天命を感知したのである。
天命とは、天徳であり天道である。
つまり、孔子は宇宙の根本的な生命の心理を、悟ったのである。
「六十にして耳順(した)がう」
天命を知るとどういう事になるか。
何を聞いても「ああ、そうか」と頷けるし、世の中の善悪の評価に心が動じなくなった。
「七十にして、心の欲する所に従えども、矩(のり)をこえず」
七十歳になったら、心の欲するままに行動しても、天道に外れる事がなく、常に仁徳の心と共に、自由自在に生きる事が出来たという事だ。
彼の七十代こそ、一切の価値を解脱した悟りの人生であった。
一休さんが森女を迎えたのは、七十七歳の時であった。
応仁の乱の兵火を避けて、盲目の美女の森女が酬恩庵(しゅうおんあん)の門前に立ち、細く美しい声で歌い「一休様の傍で、いつもお聞かせしとうございます」と言った。
戦火の中で旅芸人の森女は、寝る所を失い、涙にくれて生きていた。
一休は酬恩庵の中に招き入れ、森女を救った。
破戒僧として、大徳寺からも批判された。
弟子たちも去った。
世評も厳しかった。
が、一休は一切を超越して、天命の愛に生きた。