沢山の人が、礼儀の作法をバカバカしい事だと、思う様になった。
近所の人にお辞儀をするのも億劫になって、すいすいと通り過ぎていく。
インターネットとメールとゲームさえ有れば、何も人間同士で頭を下げて、挨拶する事はないと思っている。
少し前の日本人は、そんなに深い交際はなくとも、ちょっと見知ってるだけで、笑顔を交わしながら「おはよう」「こんにちわ」と挨拶を交わした。
外国の人は、異口同音に「日本人は地球上で、最も礼儀正しい民族」と言っていた。
「礼を知らざれば、以て立つ事なきなり」と。
集団生活の中で、お互いが日常のさりげない礼儀を失うと、人は日毎に孤立化してくる。
それが出来ない人は、周囲の壁に囲まれ、孤立の辛さと苦しみに埋もれて、救いの無い人生を送る。
集団社会の中で、お互いが日常のさりげない礼儀を失うと、人は日毎に孤立化してくる。
社会がますます複雑化し多元化する中で、孤立化しても、その流れに器用に流れて行ける人はいい。
が、それが出来ない人は、周囲を壁に囲まれ、孤立の辛さと苦しみに埋もれて、救いの無い人生を送る。
集団社会の中に自分の人生を確立するには、まず「礼儀正しい」が鉄則である。
自分が人に嫌われるとは、人が自分から遠のく事である。
その時に、人と人との心の距離が遠のいてしまうのだ。
たとえ遠方にいても、心の距離がぴったりとくっついていれば、相手に好かれている。
たとえ、夫婦で近くにいても、心の距離が空いてしまうと、冷たくなってしまう。
冷たくなった人間関係を、劇的に変化させるのは、礼儀である。
自分が明るい声で「おはよう」と言えば、相手も挨拶してくれる。
周りが面白くない人ばかりだと思う前に、自分から笑って挨拶してはどうだろうか。