テレビがこの世に出現した頃、テレビ局の係の人が、町を歩いている子供たちにマイクを向けると、キャッと言ってクモの子を散らす様に逃げた。
子供たちだけでなく、大人たちも手を横に振って、マイクに向かう事を拒否していた。
そんな情況を思い浮かべながら、今日もテレビに出てくる普通の子供たちや大人たちの姿を拝見すると、逃げ回るどころかその堂々とした態度とキレの良い発言に、舌を巻いてしまう。
テレビやラジオが、国民の発言力を強大にした功績は、実に大きい。
民主主義の社会においては、国民一人ひとりの立派な発言力を養う事は、大事な事である。
が、一点見落としてならぬ事は、発言した事は見事であっても、その人の心の内容はどうなのか、その人の実践力はどれ位あるのか…という点である。
発言だけは見事だが、みんなが口先だけの人になっては困る。
逆に発言は控えめであっても、実践力があって、意志が強く思いやりがあって、決して権力に屈従しない人がいたら、それが「仁」の人だ。
「剛毅木訥は仁に近し」ーこれも、孔子の名言の一つである。
剛とは、宇宙や自然に対する指向が強く、金、かね、カネと金欲ばかりに屈従しない事。
毅とは、キッパリしていて、あまり世間の評価に動じない事。
木とは、自分の素質のまま、自分に素直に生きる事。
出来る事は出来る。出来ない事は出来ないと、自分を飾らずに言える事。
訥とは、人を痛め苦しめる様な発言はしない事。
また、他人にこうしなさいと言う前に、自分が実践出来ている事。
「剛毅木訥」がもし実践出来れば、苦悩はいっぺんに飛んでいく。