爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

まずは自分が幸せになる

2021-12-29 10:59:17 | 日記
私は小学一年の時に、世の中の厳しさをいやという程痛感した。

田舎にしては大きな商売をしていた父は、困っている人、貧しい人の面倒をとても良く見ていて、新聞にも「親切なお米屋さん」と写真入りで掲載されたりしていた。

しかし突然、その父が他界した。

その上詐欺に引っ掛かって、破産したという。

すると今までは、ニコニコ笑って親切にしてくれていた近所の子供たちが、急に威張りだした。

嫉妬が意地悪に変わると、恐ろしい。

土手を自転車に乗って走っていると、五、六人の友だちがワイワイやって来て、力を合わせて自転車をひっくり返し、自転車もろとも私を田んぼに突き落とした。

ブランコに乗せられ、みんなで力任せに振られ、頭から落とされた。

大きな石をぶつけられて、口も切れた。

貧しく惨めな身分になった時、初めて友だちの心の底が分かると思った。

貧乏になると、びくびく生きて行かなくてはならない。

元気な気持ちが腐ってくる。

やっぱりある程度までは、豊かに暮らしたい。

孔子は「貧と賤とは、これ人の悪む所なり」と、言っている。

人というものは、貧乏で生活に困ると、とかく他人から無礼を受け、何かと人を恨みがちになる。

「論語」というと、何となく貧に甘んじて生きる事が、わきまえの有る生き方の様に思っている人も多いが、実はそうではない。

「倉廩(そうりん・穀物を蓄える所)実ちて、則ち礼節を知る」。

これは管子(かんし)の言葉である。

倉の中に品物が豊富になり、経済生活が豊かに成ってくると、人は初めて礼節を知る…と。