大阪の枚方市にある片埜(かたの)神社は、朝廷から正式に認められていた由緒ある神社だ。
『日本書紀』に登場する勇猛な豪族の野見宿禰(のみのすくね)が、スサノウノ尊を祀ったのが始まりだという。
ここのご利益は方除けだ。
つまり、方位に関する災厄を取り除いて貰えるのである。
その為、引っ越しや旅行の前にお参りに訪れる人が多い。
ただし、方除けの神様として広く知られる様になったのは桃山時代からだ。
と言うのも、大阪城を築城する時、片埜神社には重大なミッションが与えられていた為である。
平安京や江戸が陰陽道の考え方に基づいて造られた事は有名だが、その際に町の守りとして特に注意を払ったのが鬼門である。
鬼門とは東北の方角を指す。
鬼門からは魔物や悪霊など、邪悪なものが入り込みやすいとされていた。
そうしたものを防ぐために、大きなパワーを持った神社や寺を鬼門方向に建てたのである。
平安京は比叡山延暦寺が、江戸は上野の寛永寺が鬼門を守った。
そして、大阪の鬼門封じを任されたのが片埜神社なのだ。
豊臣家はこの神社をたいへん信頼しており、秀吉が改修を行ったほか、息子の秀頼も大改造を命じている。
現在も目にする事ができる本殿や正門などは秀頼時代に造られたものである。
じつは、秀吉は大阪城を築いただけでなく、密かに遷都を計画していたとも言われている。
内裏や都の寺社を大阪に移そうと考えていたと言うのだ。
片埜神社に鬼門を封じさせて鉄壁の結界を作ろうとしたのも、新しい都づくりの一貫だったのかも知れない。