ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

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守 破 離   思考実験

2010-05-30 14:38:19 | 無題
こじははのブログに載っていた 守 破 離 を自分がいま自分なりに思考のなかで
届いていると思える視点から思考実験してみました
 
山崎将志著 「残念な人の思考法」 より抜粋
 
「守」とは
 師や各流派独自の教えや形、技、などを忠実に守り それから外れることの
 無いよう精進して、その教えを忠実に守って、身につけること
 
「破」とは  
 今まで学んだ教えや、形、技が、確実に身につき 修行がさらに進んでいけば
 自然にほかの流派などの良い技を取り入れていく
 そして、守ってきた形の技を破って心と技を発展させていく
 
「離」とは
 破の状態から、さらに発展し、「守」にとらわれず また「破」も意識せず
 おのずから流派を離れてひとつの形を作り、独自の新しいものを生み出し
 修行していくこと
 
 
これは芸事や武道などの世界での修行を始めてからひとりだちするまでの
心得をあらわした言葉らしいのですがいまの自分にはほとんど関係ないので
心の修行というあたりに置き換えて (修行という言葉もうあまり好きじゃないんだけど) 思考実験してみました
 
 
思考のなかでどうなったかというと 「守」という言葉のなかに「破」も「離」も
入っちゃいました
つまり 守 破 離 あわせて 自己実現とか自分自身になるというようなプロセス
を表現していると思えるのですが 思考のなかではそれが「守」となってしまいました
 
思考のなかの「破」はなにかというと 自他の区別の意識を突破するということです
自己実現とか自分自身になるというのはある意味逆に他者を強烈に意識している
ということです 自分と自分以外のものの違いの意識  つまり枠組み あるいは
分離感といってもいいような意識にメスを入れることです
 
思考のなかの「離」はなにかというと そういった意識 思いを手放すというか
こだわりがなくなるというか 自分は自分であるけれど自分ではない
自分はだれでもない  個でありながら全体でもある 全てが繋がっている
というような意識状態
人間は他の存在とかなり違っていて 意識や思いや感情があり それがなくなると
いうのは考えづらい
その時々の思いのままに動いて とらわれることがない
とらわれていてもそれにとらわれない
いわば あるがまま なるがまま  無為自然
 
これが思考実験でした
 
実感レベルでいうと「守」の最初のほう
生まれたてほやほやの赤ちゃん亀
 
自分自身を実感し始めたばかり
観念主義者から実感主義者への衣がえをはじめたばかり
なので甘えん坊さんなのです
 
 
 
 
 
 
 
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4 コメント

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Unknown (きゅうけい)
2010-05-30 20:37:00
わかりやすい!
ダライラマは、西洋の心理学は赤ちゃんだとおっしゃってたそうです。東洋の心理学は、確実に亀さんの言うところの「離」まで達しているのではないかな~と想像します。
最近、自分の目指す道の先に、亀さんのいうところの「破」があるだろうということを認識し始めたところです。
まだまだ、「守」の私が、自分が死ぬまでにどこまでいけるのか、亀さんがどこまでいくのか、想像するとワクワクしています。
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Unknown (ちゃらんぽらん亀)
2010-05-31 05:25:00
心の休憩所さま
これにコメントしてこんやったら2度とあんたんとこ遊びに
いってやらん とか思ってた なーんて
でもまー 左脳が勝ってるような文章はいまの自分には
似合わんので たまにしかやらん
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Unknown (こじはは)
2010-05-31 06:57:00
私も、心の破を目指します。
その時々の思いのままに動いて、とらわれることがない。
あるがまま。なるがまま。
それ目指します。
誰だ。
もう既に十分思いのまま動いてるやろ。とか言ってる人。
これでも結構細かいこときにするんですよ。
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Unknown (ちゃらんぽらん亀)
2010-05-31 10:41:00
こじははさま
いちいちそんなどうでもいいようなこと目指すんじゃねー
それが とらわれって いうんじゃ なーんちゃって
おいらなー いまなー ちょーしこいて いい気になってるねん
そんでなー 空虚感におそわれたんや
でなー なんでんかんでん でてくるもんは味わちゃろー思うて
なんでんかんでん受け入れちょる
いまんとこなー おいらが実感的に身につけた技がこれしかないけん
これ一本やりでやりよるんやけど そのうち 限界がくると思うねん
まー そんときは そんときや
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