ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

コタツ出そうかな~どうしようかな~

2013-11-29 11:14:12 | 無題
 
生身は 体験しなければ わからないことがある
 
それは 突然襲ってきたり じょじょにやってきたりする
 
言葉でどう表現すれば 伝わるのかはわからない
 
そのまま伝えても 体験していない人には伝わりにくい
 
それでも 伝えていこうとする思いが
 
わかってもらいたいという思いが
 
分かち合いたいという思いが いろんな表現をとるのだと思う
 
自分の体験的な事実や真実は 自分にとっては 何の説明もいらないけど
 
他者にむけて表明する場合には そのままでは伝わりにくい
 
同じ体験 同じ思いをした人はいないのだから
 
共通項というのはあるのかもしれないけど
 
体験の仕方はどこまでも個人の思いに委ねられることになる
 
それはいいとか悪いとかではなく ある出来ごと ある事象があって
 
それをどう体験するのかは それぞれに委ねられることになる
 
例えば 日本人にとっては とてつもない3:11の出来ごとだったりにしても
 
同じような体験をしても そのときのそれぞれの体験仕方 状況によって違っている
 
いったい 生身はなにに たちあっているのかはそう簡単には計ることは出来ない
 
生き残った人のいろんなドラマをみていると
 
命はどこにむかっているのか どこにむかっていけばいいのかよくわからない
 
どんな宇宙の企みが今のこの地球にこの日本に人間に命にあるというのだろう
 
それでも生きている限りは どんな企みや予定がなされていようとも
 
今生きている命を精一杯生きてみる他ないのだと思える
 
それぞれの個人的な事情や思いやなんじゃらかんじゃらを含めて
 
今在る奇跡を体験し味わい繋がる他ないのだと思える
 
どこに繋がるかはそれぞれに任される
 
繋がりたくない人は繋がらなくていいし 繋がりたい人は繋がればいいし
 
それくらいの自由・裁量は与えられていると思うので
 
この亀の選択は繋がるぜっていうところに繋がっているぜっていう方向に
 
生きていくことになる
 
個々の肉体は孤独だけど思いも孤独だけど
 
それでも今ある奇跡は偶然じゃないと思うし
 
どのレベルで囚われているにせよ開かれているにせよ
 
プロセスであることに変わりはない
 
命はどんな状況でもどんなレベルでも精一杯生きるので
 
基本的になんでもありじゃんとなってしまう亀なのだ
 
人間という存在はこの地球上ではややもすれば大きな顔をしているけれど
 
果てしない宇宙の進化の中ではちょっとしたイベントにすぎないのかも知れないし
 
それはまだ何とも言えないけど時空を超えて在る今を
 
体験してみる他ないねと思うのだ
 
それぞれの今は人間だけに限らず他の動物も植物も鉱物も水も空気も光も
 
同じエネルギーとして意識するしないに関わらず
 
与えられた場所で条件の中で制限の中でそれぞれの役目を果たし
 
繋ごうとしているのだと思えてならない
 
そんな奇跡を地球という星はきっとどんな星よりも受け容れてやってきた
 
今もやっていると思う
 
どこか遠い星からやってきた魂もいるかもしれないし
 
この地球で生まれた魂もいるかもしれない
 
命というのは存在というのはいろんな形をとるので
 
どこまでも永遠の今を生きようねと言う他ない
 
 
 
庭に咲くつわぶきの花
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(神もどきちゃん)  亀ちゃん! 
 
(ちゃらんぽらん亀) ん?
 
(神もどきちゃん)  今日の落ちは?
 
(ちゃらんぽらん亀) 落ちがないとだめなんか
 
(神もどきちゃん)  落ちがない亀ちゃんなんていなくてもいいでしょ
 
(ちゃらんぽらん亀) ・・・・・・・・・・・・・・・・
 
(くろっぺ)       亀ちゃん落ちがあってもなくてもそのままでいいよ 大好き!
 
(ちゃらんぽらん亀) く、くろっぺ~~~~~
 

どこにむかって進んでいるんだろうか?

2013-11-18 06:44:42 | 無題
 
 
亀は いつも思っている
 
亀の 人肌のぬくもりを 感じてほしいと
 
そして 亀は いろんな人のぬくもりを感じるよって
 
人が生きてるってことは ぬくもりなんだって思うよ
 
いろんなぬくもりがあるから  それぞれのぬくもりがあるから
 
それぞれ 好みのぬくもりがあるから 好き好きでいいんだけど
 
やっかいなことに 感受性やら 体験やら 思いこみやら 決めつけやらがあるから
 
一筋縄ではいかないところもあるけど
 
光と闇が出会って 合わせ技みたいな感じで
 
ぬくもりが生まれるんじゃないかと思うよ
 
光だけでも 闇だけでも うまく生きていけないんじゃないかと思うよ
 
光に生きる存在も闇に生きる存在もいると思うけど
 
なんていうか 
 
光だけだとまぶしすぎる感じもするし
 
闇だけだと暗くてなにも見えないし
 
ちょうど いいあんばいに なればいいなって思ってる
 
そ、それが ちゃらんぽらんだ~
 
 
ん? は、拍手がないな~  あ、あれ~~~
 
なんか はやまったのかな~
 
グスン か、亀すぐ逝っちゃうんだよね 3分もてばいいほうなんだよね
 
ごめんね~ 勝手に先に逝って果てちゃって ほんとにごめんね~
 
 
(神もどきちゃん) 亀ちゃん!
           何くだらないこと言ってるのよ!
           もう何の役にもたたないものぶらさげて
           ふざけたこと言ってんじゃないのよ!
 
(ちゃらんぽらん亀) お、おしっこするとき まだ役にたつもん
 
(神もどきちゃん) あっ そう
 
(ちゃらんぽらん亀) そうだもん それに万が一 他の用途にも役立つチャンスが
             あるかもしれないし
 
(神もどきちゃん) 亀ちゃんって ほんとにおめでたいのね
 
(ちゃらんぽらん亀) もうすぐ お正月だもんね
 
(神もどきちゃん) そ、そうね
 
(くろっぺ) わ~い わ~い もうすぐお正月だ~~~
 
 
 
 
光と闇の風景

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更に横道にそれてみた・・・

2013-11-12 16:00:56 | 無題
 
応援歌
 
なにはなくとも 自分への応援歌
 
親しい人への応援歌
 
なんじゃかんじゃある人への応援歌
 
いのちへの応援歌
 
自然への 宇宙への応援歌
 
全てへの応援歌
 
 
その時々のドラマは 人によって 命によって エネルギーによって
 
いろいろあるとは思うけど
 
なんか 応援せずにはいられない
 
それは おバカな亀の応援歌
 
在るということへの応援歌
 
ないということへの応援歌
 
見えること 見えないことへの応援歌
 
繋がっていることへの応援歌
 
歌はうまくても へたでも
 
精一杯の応援歌
 
 
 
 
 
ミラーモードの世界
 
 

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(神もどきちゃん) 亀ちゃん! 亀ちゃん! 
           亀ちゃんが真面目なこと言う時はもう出来あがってるときなのよね
 
(ちゃらんぽらん亀) てやんで~ 酒だ 酒だ~ もっと酒もってこいってんだ~
 
(神もどきちゃん) くろっぺ! よ~く聞いて 亀ちゃんがしおらしいこというときは
           気をつけるのよ!
 
(くろっぺ) うん! くろっぺ気をつける!
 
(亀) くろっぺ! おまえ なんでそんなに可愛いんだ チュッチュ
 
(くろっぺ) 亀ちゃん 横になっていい夢みてね また明日ね
 
(神) さ~くろっぺ! 美味しいおうどんやさんにいくよ~
 
(くろっぺ) やった~~ 
 
(亀) むにゃむにゃ チュッチュ チュッチュのチュッチュッチュ~
 
 
 

ちょっと横道にそれてみた

2013-11-04 16:59:02 | 無題
 
あの世があってもなくても いいのだと思うのだが
ま~ あるとは思うけど
宇宙人がいてもいなくてもいいと思うのだが
ま~ いると思うけど
 
なんにしても いまこうして生きている
自分の肉体や意識や体験で進んでいくほかない
 
どこに焦点をあてるかは
それぞれの 自由にまかされることになる
 
たとえば この現実に焦点をあてると
身近な人間関係であるとか 社会関係であるとか お金であるとかが
重要になってくる
 
そしてそれらは ある意味とてつもなく重要であるので
面と向かって はむかえないことになる
 
ほんとうに重要なことって そうじゃないんじゃないかなとか言おうものなら
袋叩きにあってしまいかねない
 
 
自分の思いをわかってもらうってことっていうのは
とっても とっても 難しいこと
どんなに手を変え品を変え表現しても
それは お互いに色メガネをかけているかぎりかなわないこと
 
それほど 理解するとか わかるっていうことは難しいこと
 
亀はず~っと 自分と全く同じ人間がいれば
言葉なんていらないのにな~って思っていたことがある
今はそうは思っていない
 
一卵性双生児を考えてみる
遺伝子的には全く同じであるけど なんといえばいいのだろうか
ぶっちゃけていえば 魂が違うよってことになるんじゃないかと思う
クローンっていうのは遺伝子的には全く同じだけど
なんか 魂がないっていうか人工生命体的な装いがあるので
それでも知的にとか科学的には
とんでもなく進化していくことがあるので
感情や思いや気持などという人間にとってはゆるがせのできないことも
なんか あっさりとした評価を受けてしまうことがある
 
愛や憎しみというという感情は進化していくうえで かえって邪魔くさいこととして
進化を遅らせる不純物としてのあつかいをうけることがある
 
とうに そんな 邪魔くさい感情レベルをクリアしている種族もいるといわれている
 
それなのに いまだ なんじゃかんじゃと これまでも何度か繰り返してきた
地球上の人類のこえがたい壁があるのかもしれない
 
いつ こえるの? いまでしょ!というのは簡単だけど
そううまくいくのかどうかは定かではない
 
それでも それでも
それぞれの命は精一杯今を生きることしかないのだと思う
いいとか悪いとかを抜きにして
精一杯生きてるよねっていうところに亀はたどりついてしまう
 
そのへんは理系ではなく文系なので
どうしても永遠の今という場面でのすったもんだに入れ込んでしまうのだ
 
もしこの世で憎みあったとしても
もしこの世で愛しあえなかったとしても
それは それぞれのプロセスだと思うほかない
 
今という同じ土俵で繰り広げられる 愛にいきつくまでの
もうひとつのドラマなのだと思えてならない
それぞれの人や命にとって必要不可欠なドラマなんだと思えるのだ
 
宇宙の始まりが命の始まりが愛というエネルギーでないのなら
生きることは とてつもなく 不毛なことになってしまう
 
愛とは何か 始まりのエネルギーとは何か
今の亀が思うには 愛とは光と闇そのものだと思えている
いろんな進化の過程で光に生きるエネルギー 闇に生きるエネルギーに進化していくと思うけど
そのどちらのエネルギーもやってくる
生きるとは光と闇のエネルギーを浴びつくすことなのだと思う
そして今という個の次元での生き様を生きるだけだと思うのだ
 
そ、それが 今の亀の妄想だ~~~~~~~~~
 
光のエネルギーも闇のエネルギーも
必要なのだとしか思えない
ただ どっちがないふりをしたりすることは出来る
個人的には自由な選択が可能なのだから
それはお任せの世界としてやってくる
 
どんな体験をしようと
それを光として生きることもできるし 闇として生きることもできる
 
亀は随分長い間
自分の遺伝子や資質からかもしれないが闇のエネルギーになじんで生きてきて
ようやっと光のエネルギーもとりこんでいけるようになったところだ
ものの見え方感じ方というのはちびっちゃいときには体験により仕方ないけど
大きくなればそれが一体何なのかを検証できるようになる
 
光がそこにあるのではない 闇がそこにあるのではない
その狭間のなかで
光を選びたければ光を選ぶことが出来る
闇を選びたければ闇を選ぶことが出来る
両方選ぶことも出来る
それくらいの自由は与えられている
 
つきつめて つきつめて 本当は一体何なのだという問いは残るけど
それでも だれもが 今回の一回こっきり生の中で生きることになる
 
とてつもない 自然災害や 政変や 経済的なしっちゃかめっちゃかや
あるいは戦争などという とんでもない事態になろうとも
その中では 大嵐の中に投げ出されたちっちゃな小船ではあるけれど
それでも生まれてきたこと 生きていること
命ある限り生きていくよという思いは変わらない
 
か、亀の場合は おバカやって生きるぜっていうことになっちゃうけど
 
 
けなげに咲く季節外れの こぼれ種による朝顔 

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(神もどきちゃん) 亀ちゃん! 落ちはないの?
 
(ちゃらんぽらん亀) ん? おまえ いままでどこに行ってたんや?
 
(神もどきちゃん) なに言ってんのよ くろっぺに入れ込んで私のことなんか
            どうでもいいんでしょ!
 
(ちゃらんぽらん亀) ば、馬鹿なこというんじゃない
             ど、どんなに おまえのこと心配していたことか
 
(神) わたし いま いい人と同棲してるの
 
(亀) な、なに~~~ どこのどいつじゃ
    年はいくつじゃ?仕事は? 年収は? 血液型は? 国籍は?
    
(神) ふ~ん こんな落ちで すませよ~っていうわけ?
 
(亀) ・・・・・・・・・・・・・
 
(神) あのね~ 人生を なめてるんじゃないわよ!
    毒舌3姉妹をなめてるんじゃないよ!
 
(亀) な、なにも おまえまで 毒舌にならなくても