世の中には ときおり びっくりするような
不可思議な体験をする人達がいる
前世を覚えている人とか
何かの霊にとりつかれてしまう人とか
宇宙人に遭遇してしまった人とか
通常目視ではみえないものがみえる人とか 感じる人とかがいる
亀自身は そういう感覚は なきに等しいけれど
そういった人の体験談や記録に接すると
あるのかもしれないと思っている というかあるでしょと思っている
亀の中では とりわけ心というのにとっても関心があるので
そのなかでも 多重人格者といわれる人たちの記録や映像をまのあたりにした時
言葉的には変だが 魅入られてしまった
自分というほとんど確定している意識の中に別の人格が現れてくる人たちがいる
だれも 自分の心の中にいろんな思いというか要素はあるので
整理整頓してしている人は状況に応じて場面に応じて役割に応じて
とりあえず まとまった自分という意識の中からその場にふさわしいとおもわれる
自分を選択して表現することになるけど
多重人格者はその辺がやっかいなことになっている
自分とは全く別の人格が現れて行動しているので
その人格の後に現れた時にその場の状況が把握できないし 混乱してしまう
それぞれの人格の相互連絡というか意志疎通はなかなか難しいみたいなので
生身のその人とは違う別の人を仲立ちとして取り組んでいくことになる
ちっちゃいときに とても耐えがたい体験や思いをした人がなんとか生きのびるため
別の人格を無意識のうちにつくるという説もある
どういえばいいのだろうか
心というのは なにかとてつもない仕組みやパワーをもっていて
それぞれの姿で表現で立ち現れる
自分自身ではどうにもコントロールしたり統合したりできない仕方で生きることになる
いろんな記録を詠むと 全く知らない言葉で登場する人格もいるみたいだ
あるいは現実の生身は女性であっても男性である人格が現れて
自分がスカートをはいてるのをみてびっくりしてしまい
その姿に嫌悪してしまうこともある
何が心の中でどんな風に重層的に成立して現象しているのかよくわからない
亀は多重人格者ではないけれど
多重人格的ないろんな思いを持っている
それはとっちらかってはいるが自分の中では一人の人格として機能している
天使もいれば悪魔もいることも 男性であることも女性であることも
神であったり仏であったり 路傍の石であったり 塵芥であったり
そんなこんなの意識の中で生きている
人は自分自身のことも人のことも全てわかるということは難しいけれど
それでも 自分の気持を伝えたり人の気持ちを聴いたりできる 自由な場は必要
だと思う
誰にも非難されず何度でも繰り返し聴いてもらうことで聴くことで
ゆるやかにゆるやかに自分自身に出会っていくことが出来ていくのだろう
ちびっちゃい時に両親から体験させられてしまった深い傷や世間から受けた傷を
なんとかのりこえていこうとする試みに心からエールを送りたい
(くろっぺ) 寒いときは お鍋にかぎるね~ おいしいよ~
(ちゃらんぽらん亀) そうだろ~ おいしいね~
(神もどきちゃん) ほんと おいしいわね~
(ちゃらんぽらん亀) く、口移しで食べさせてあげよ~か
(神もどきちゃん) 10000年早いつ~~~~の!!
(くろっぺ) ぼ、ぼくも ひとりで食べるから亀ちゃんからの口移しはいらない
(神もどきちゃん) くろっぺ! わたしが口移ししてあげよ~か?
(くろっぺ) やった~ 口移し~口移し~神もどきちゃんの口移し~
(ちゃらんぽらん亀) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・