ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

すべて おっけい

2010-12-31 17:09:07 | 無題
 
 
亀はとらわれている
 
亀は心にとらわれている
 
大切な思いにとらわれている
 
亀はとらわれの海の中にいる
 
亀は創造主にとらわれている
 
亀は意味にとらわれている
 
感情に気持に思いにとらわれている
 
とらわれのエネルギーの中で正月を迎える
 
何もかも受け入れようとする亀はパンク寸前
 
なにもかもなど受け入れられない
 
そう 何もかもなど受け入れられない
 
快なものは快  不快なものは不快
 
不快を受け入れることなど出来ない
 
出来ることは
 
不快を受け入れられないことを 受け入れるだけ
 
自分に出来ることはそれだけ
 
不快にならないようにすることではない
 
ありのままの思い 気持の事実をうけいれるだけ
 
それが無条件の受容ということ
 
まず自分にそれを行うこと
 
自分を受け入れた程度に応じて人をうけいれられる
 
もし自分の中で受け入れられない自分がいるのだったら
 
それは人に映し出される
 
あの人がこうだから どうだからと
 
原因を外に求めるようになる
 
そう 確かに原因は外にあるようにみえる
 
本当にそんな風に見える時がある
 
それが心のトリック
 
何度も何度もたちかえる必要のある心のトリック
 
自分を棚に上げて 人をああだこうだという
 
そのエネルギーは そっくりそのまま 自分に返ってくる
 
不思議に返ってくる
 
その心の法則をうまく使いこなして生きていく人もいるが
 
亀はうまく使えない  使いたくない
 
亀はひねくれ者  その先にいきたがる
 
亀はなかなか 素直になれない 正直になれない
 
亀は切ない
 
亀はぶるぶる震えている
 
亀はまだ 自分に出会えない
 
そんな今の亀を 受け入れていく
 
なので
 
亀は自由になっていく
 
不自由であることがそのまま自由であるという受け入れをやっていく
 
カテゴリーの垣根がはずれていく
 
言葉がはずれていく
 
だけどまだ 思いははずさない
 
とらわれをはずさない
 
多分 とらわれは 突然ある瞬間に落ちる
 
それは今生ではないかもしれない
 
とらわれをとらわれと知りつつとらわれていく
 
それが亀のスタイル
 
亀の深部にまだ 大悪魔がひかえている
 
それと いつか まともに対面する日が来る
 
中悪魔とは対面している
 
さかんに対話をしている
 
言い分を聴いている
 
もっともだと思える
 
大悪魔の言い分を まだもっともだと 聴けない
 
なので大悪魔はまだ顔を出さない
 
出番をうかがっている
 
早く俺も受け入れろよと催促してくる
 
亀は今の自分を知っている
 
なので 待ってもらっている
 
亀は自分が冷たい人間だということを知っている  体験している
 
そして 亀は自分があたたかい人間だということも知っている 体験している
 
亀はこれまでやらかした いくつかの冷たい体験の亀を責め続けていた
 
そのエネルギーは膨大である
 
この世に生きている資格などないと思い続けていた
 
いまでもまだ心のどこかで思い続けている
 
自分が生きているに値しない人間であると
 
心の奥深く どこかで思い続け 感じ続けている
 
その思いの場所にいくと涙が止まらなくなる
 
今も泣きながら書いている
 
亀はどうしようもなく つまらない人間  どうしようもない人間
 
ブログには載せきれない多くのメモが残されている
 
消え入りたい思いが綴られたメモが残されている
 
亀は自分を切り刻みながら今を生きている
 
どこまでも切り刻みながら今を生きている
 
消え入りたいのだ亀は
 
人に冷たくしてしまった自分が恥ずかしくてしようがない
 
そんな自分を許せない
 
数少ないそんな体験に縛られのたうちまわり
 
自分にあるあたたかさなど なんの役にも立たず  生きてきた
 
 
今 亀は
 
そんな風に生きてきた自分が いとおしい
 
自分にやさしくしてあげれる自分がいることが
 
奇跡のように思える
 
自分をどんなに責めてもいいよと暖かくつつみこんで受け入れてくれる
 
そんな自分がいるから
 
どんな自分も OKになってしまった
 
生きたいと思う自分もOK
 
死にたいと思う自分もOK
 
切ない自分もOK
 
どんな自分もOK
 
もちろん 人もOK
 
そんなところに 亀はいるよ
 
 
 
 
 

みえなき香りに誘われて

2010-12-30 06:23:03 | 無題
 
 
ぬくもりが  そーっと  はいってくる
 
その中にいて
 
一人一人の顔を思い浮かべ
 
つたえあい いだきあう
 
そんな ひととき
 
それは かすかな息吹
 
かけがえのない いのちの萌芽
 
 
そーっと  つめたさが  はいってくる
 
しーんとした 暗闇の中に
 
ぽつんぽつんと 一人一人 が いる
 
笑みを交わし  言葉を交わし
 
そして 立ち去る
 
残るものは何もなく
 
分かち合うものは何もなく
 
涙もでない
 
そんな ひとときも 受け入れる
 
切なさが 堰を切って あふれてくる
 
 
見守る視線 を 感じる
 
あなたは 一体 誰なのか
 
眼には見えないあなた は 一体誰なのか
 
あなたを信じることは たやすいことだろう
 
あなたを信頼することも たやすいことだろう
 
だが
 
あなたを理解することは そんなにたやすいことではない
 
 
 
こころは 信じたがる
 
こころは 疑いたがる
 
こころは 決めつけたがる
 
こころは 判断したがる
 
こころは 評価したがる
 
こころは 不安を見つめたがらない
 
こころは 恐れを見つめたがらない
 
こころは 外へ映し出す
 
こころは 漂う
 
こころは それでも あたたかい
 
こころは 求める
 
こころは 自分を 人を 求める
 
こころは 確かなものを 求める
 
こころは 荒れ狂う
 
こころは 気配を察知する
 
こころは 間違いを犯す
 
こころは 揺れる
 
こころは 佇む
 
こころは それでも 歩く
 
こころは あなたのもとへと じぶんのもとへと 一歩一歩
 
そして
 
こころは 全てを 受け入れる
 
 
 
眼に見えぬ心は
 
天使の装いをもって
 
悪魔の装いをもって
 
外に映し出す
 
どんな世界も自分の心を映し出しているという
 
自分の心が創りだしているという
 
それは法則だという
 
それはそうなのだと思うが まだ物足りない
 
法則を創りだしたものは誰なのかの問いが残る
 
法則が神だという人がいる
 
神が法則を創ったという人がいる
 
どっちでもいいが
 
神(法則)を創ったものは誰なのか
 
一体なんのために
 
 
知る必要のないことなのかもしれない
 
知り得ないことなのかもしれない
 
だが 知りたいのだ 味わいたいのだ 体験したいのだ
 
ふるさとへ還るとは 自分にとっては そういうこと
 
神のもとへ還る旅
 
神と一緒に神を創造したもとへと還る旅
 
どこまでも問うていく旅
 
出会い続けていく旅
 
自由な旅
 
意識は 思いは 気持は
 
どこまでも 欲張り   妄想 幻 とらわれ
 
それでも やっぱり
 
こころは すばらしい
 
 
 
 
 
 

えんでの日常会話

2010-12-29 06:58:19 | 無題
 
 
そういえば あれは どうなったかしら
 
ああ あれね あれはたぶんそうなったのよ
 
へー そうなんだ ところで あのあれはどうなったの
 
ああ あのあれね そのあれで あのあれなのよ
 
なーんだ そうなんだ
 
そうなのよ
 
そうよそういうものよね
 
そういうものよ
 
ははは
 
 
 こういう会話が飛び交っている
 若者はなかなかついていけないが
 亀は つ、ついていってる というか その渦中にある
 
 なんとなくわかるというか わかったつもりになるというか なれるというか
 まー それでも そのうち 落ち着くとこに落ち着くというか 忘れてしまうというか
 なんというか  そんな風に えんの一日は過ぎていく
 
 そんなことより バイクの鍵がまだ見つからない
 そんなことより 年賀状書かなくちゃ
 
 
 
 
 
 
 
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