亀はとらわれている
亀は心にとらわれている
大切な思いにとらわれている
亀はとらわれの海の中にいる
亀は創造主にとらわれている
亀は意味にとらわれている
感情に気持に思いにとらわれている
とらわれのエネルギーの中で正月を迎える
何もかも受け入れようとする亀はパンク寸前
なにもかもなど受け入れられない
そう 何もかもなど受け入れられない
快なものは快 不快なものは不快
不快を受け入れることなど出来ない
出来ることは
不快を受け入れられないことを 受け入れるだけ
自分に出来ることはそれだけ
不快にならないようにすることではない
ありのままの思い 気持の事実をうけいれるだけ
それが無条件の受容ということ
まず自分にそれを行うこと
自分を受け入れた程度に応じて人をうけいれられる
もし自分の中で受け入れられない自分がいるのだったら
それは人に映し出される
あの人がこうだから どうだからと
原因を外に求めるようになる
そう 確かに原因は外にあるようにみえる
本当にそんな風に見える時がある
それが心のトリック
何度も何度もたちかえる必要のある心のトリック
自分を棚に上げて 人をああだこうだという
そのエネルギーは そっくりそのまま 自分に返ってくる
不思議に返ってくる
その心の法則をうまく使いこなして生きていく人もいるが
亀はうまく使えない 使いたくない
亀はひねくれ者 その先にいきたがる
亀はなかなか 素直になれない 正直になれない
亀は切ない
亀はぶるぶる震えている
亀はまだ 自分に出会えない
そんな今の亀を 受け入れていく
なので
亀は自由になっていく
不自由であることがそのまま自由であるという受け入れをやっていく
カテゴリーの垣根がはずれていく
言葉がはずれていく
だけどまだ 思いははずさない
とらわれをはずさない
多分 とらわれは 突然ある瞬間に落ちる
それは今生ではないかもしれない
とらわれをとらわれと知りつつとらわれていく
それが亀のスタイル
亀の深部にまだ 大悪魔がひかえている
それと いつか まともに対面する日が来る
中悪魔とは対面している
さかんに対話をしている
言い分を聴いている
もっともだと思える
大悪魔の言い分を まだもっともだと 聴けない
なので大悪魔はまだ顔を出さない
出番をうかがっている
早く俺も受け入れろよと催促してくる
亀は今の自分を知っている
なので 待ってもらっている
亀は自分が冷たい人間だということを知っている 体験している
そして 亀は自分があたたかい人間だということも知っている 体験している
亀はこれまでやらかした いくつかの冷たい体験の亀を責め続けていた
そのエネルギーは膨大である
この世に生きている資格などないと思い続けていた
いまでもまだ心のどこかで思い続けている
自分が生きているに値しない人間であると
心の奥深く どこかで思い続け 感じ続けている
その思いの場所にいくと涙が止まらなくなる
今も泣きながら書いている
亀はどうしようもなく つまらない人間 どうしようもない人間
ブログには載せきれない多くのメモが残されている
消え入りたい思いが綴られたメモが残されている
亀は自分を切り刻みながら今を生きている
どこまでも切り刻みながら今を生きている
消え入りたいのだ亀は
人に冷たくしてしまった自分が恥ずかしくてしようがない
そんな自分を許せない
数少ないそんな体験に縛られのたうちまわり
自分にあるあたたかさなど なんの役にも立たず 生きてきた
今 亀は
そんな風に生きてきた自分が いとおしい
自分にやさしくしてあげれる自分がいることが
奇跡のように思える
自分をどんなに責めてもいいよと暖かくつつみこんで受け入れてくれる
そんな自分がいるから
どんな自分も OKになってしまった
生きたいと思う自分もOK
死にたいと思う自分もOK
切ない自分もOK
どんな自分もOK
もちろん 人もOK
そんなところに 亀はいるよ