ちゃらんぽらん亀のなんでもあり

お笑い中心のおバカなブログです

母さん

2010-11-30 05:09:52 | 無題
 
 
母に自分の絵を見せて 「何か感じる?」って訊いたら
 
「何も感じない」 だって
 
おろおろってなって 少しあとずさりしてしまった
 
体勢を立て直して もう一度訊いてみた
 
「ちょっとは何か感じるでしょ?」
 
母は再び静かに 「何も感じない」 だって
 
そ、そうか  そんなもんなんだよね
 
しかし もう一度 すこしむきになって いろいろと説明してみたが
 
けんもほろろの返事が返ってきた
 
ちょっとさみしかった  いっぱいさみしかった
 
母にはなかなか思いが伝わらない 気持が伝わらない
 
それってもしかしたら ははの思いも気持も自分に伝わっていないんじゃないか
 
ごめんよ母さん
 
自分が感じるさみしさは おなじように 母も感じているに違いない
 
母もさみしいに違いない
 
父が亡くなって五年
 
どんな思いで母は毎日生きているのだろう
 
母の耳がますます遠くなり  会話もままならなくなり
 
お互いの気持を お互いにうまく伝え合えなくなり  あきらめぎみに時が過ぎる
 
ごめんよ母さん  ほんとにごめんよ
 
自分のこころにむきあい 人の心にむきあっているのに
 
肝心の母さんの心に ちゃんとむきあえない
 
間に合うかなー  
 
母さん  自分は 母さんに 間に合うかなー
 
母さんに こころから感謝できるようになるかなー
 
恨みつらみはもうないけど
 
どうしても まだ 母さんにはひねくれてしまうところがあるみたいだ
 
もっともっと素直に正直になって
 
母さんに間に合うようになっていくからね
 
「産んでくれて ほんとに ありがとう」 って
 
母さんが生きてる間に必ず言うからね
 
 
 
 
 
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どこへいくの

2010-11-29 04:02:31 | 無題
 
 
自分のこころの中に起きる気持 思い 感情を
 
正当化することなく そのまま 見続けるというのは
 
ことの他むつかしい
 
自分を守るために 意識の隅々にまで正当化作用がほどこされている
 
その正当化を あえてはずして観ていこうとするのだから
 
なまやさしいことではない
 
 
生身として この地球に生きていて 遥か彼方
 
起源の起源へ思いをはせたり
 
この世の意識では計り知れない意識へ馳せ参じようとする意識を垣間見ると
 
なおさら この世が この地球が この生身が
 
まじかにいる一人一人が
 
なぜか いとおしく感じられてならない
 
相対の世界に身を置きながら 絶対の世界ともいえる体験 視点から発信している
 
意識を無視はしない
 
地球上で今の科学がたどりうるかぎりでは なかなか認知 承認されない存在
 
見える意識体 見えない意識体を その存在があたりまえのこととして
 
受け入れられる段階になるには まだまだ時間がかかる気がする
 
およびもつかない意識があること 存在があること
 
地球はまだまだ とても若い意識体なので
 
その若い生身を体験していくプロセスが必要なのだと思う
 
 
ふるさとへ
 
わがやへ還る日が いつになるのか わからないけど
 
とりあえず いま ここで 右往左往しながら
 
けっして視点を固定させずに
 
わかっていることは何もないよという思いを込めながら歩いていく亀
 
この世にいるかぎり この生身を手放すことはない
 
身体感覚として事実性を帯びている
 
それも幻想だよという視点は成立するけど
 
その視点を自分なりに理解しながらも
 
あえて 生身であることを楽しみたいと思えるようになった亀
 
 
自分が今 本当に どこにいるのか
 
果てしない旅のどこにいるのか
 
全体像が見えないなかで
 
それでも
 
いまを ここを 楽しんで 舞い 歌い 
 
笑ったり  泣いたり しみじみしたり 苦しんだり  辛かったり
 
喜んだり  祈ったり  
 
いま が プロセス
 
果てしないいまというプロセス
 
 
 
 
 
 
 
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終りが始まり

2010-11-25 06:02:02 | 無題
 
 
思いがどんなに遠くまで飛翔していても
 
存在の起源まで旅していても
 
この世に生きている
 
この現実を生きている
 
具体的な人間関係を生きている
 
時折 おもいもよらない感情が胸に拡がり
 
立ち往生してしまう
 
人の思いや気持を受け入れていく中で生起する感情
 
それは身体感覚として感じられてくる
 
想いを自分の中にだけ留めておくにはあまりにも切ない想い
 
人は人との間で分かち合うことを必要とする
 
痛切に必要とする場面がまれに現れる
 
私は自分の心の内をみつめながら
 
正当化せずにたどっていく
 
あまり見たくはない感情があることに気がつく
 
だが そのあまり見たくない感情のおかげで自分の心の中に生起した
 
大切な思いを自覚することになる
 
それはかなり現実離れした感情なのだが
 
それゆえに たじろいでみもだえしてしまう
 
自由な魂なのだが
 
一切の心の枠組みから解き放たれようとする魂なのだが
 
生身ゆえ 一人心の内でみていくだけではなやましすぎる
 
二度とおきるはずのなかった感情
 
怒りや恨みや憎しみはほとんど消え失せぬくもりだけがあり
 
あとは感謝という大きな壁をみすえていくはずだったのに
 
嫉妬と切なさという大津波がやってきた
 
この二カ月みじろぎもせず 見続けてきた
 
そしていま 生まれて初めて出会ってしまった思い
 
いのちへのいとおしさ 自分へのいとおしさ 人へのいとおしさ
 
二十年前 たった一度だけ起きた 完結しなかった思い
 
その思いのさきにたどりついてしまった
 
運命とも思えたこころの出来ごとがようやくつながり
 
自分の中で完結し 新たに拡がっていく
 
このかん なんどもこころ閉じそうになったが
 
とても苦しかったが
 
いま自分がいるこころの場所は  いとおしさ
 
いのちへの限りのないいとおしさ 
 
自分へのいとおしさ あなたへのいとおしさ ひとへのいとおしさ
 
自分にとっては奇跡的とも思える場所に今いる
 
これほど自分を信頼できるとは こんな思いになれるとは
 
一人ではなしえなかったこと
 
えんでの 人との出会いや状況があったからこそ 
 
そしてみじろぎもせずみつめ続けたからこそ
 
 
うちに開かれていくというのは
そとに開かれていくこととおなじだというのが実感できる
 
偶然なのか必然なのかわからないが
 
新たな旅が始まる
 
始まっている
 
自分に出会う旅は 人に出会う旅  分かち合う旅
 
 
 
 
 
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