なんといえばいいのだろう
今日起きたできごとの中で自分がここまで的をはずすんかという自分の思い方
というか 感受性のにぶさというか
話にならんという出来ごとがあった
なんにもわかってないということをここまでつきつけられると
落ち込む以前に自分のなかでは 笑ってしまった
そして その出来ごとの 全体像の流れのなかでは
こうなるように 仕組まれていたのかもしれないとも思える
もしそうだとするなら ここで終わりにならない気がする
気がするだけで事態はどうなるかそれもわからない
具体的に表現することは今はできないけど
今を生きるというのは なんか 不思議で神秘に包まれている
運命は100%決まっているという人もいるが
どう決まっているのか とくに知りたいとも思わない
なんというか プロセスにしか関心がむかない
ごめんね 奥歯にものがはさまったようないいかたしかできなくて
自分のことだけだったら なんでんかんでんはなすんだけど
今日のはそうもいかなくて
運命は、100パーセント決まっている。ということ言う人っていますね。
こじははは、決まっていても、本人が知らなかったら、決まっていないのと同じのような気がします。
決まった人生を、すべて知っていたら、人間は努力をしたり、失望をしたりしないと思うんです。
亀さん、感受性が鈍かったんですね。
こじはは、鋭いときもあれば、鈍いときもあります。
鋭くて、いろいろ気にするなるときは感受性の鈍い人がうらやましいし、鈍くて人の言ってることの意味がわからなかったり、空気が読めなくて失言するときは、鋭い人がうらやましいし。
ある時期おいらより繊細な人はいないんじゃとか思ってて
それは 単なる 自意識過剰によるミスだとわかって
それから20年近く経っているのに
えー まだ こんなんかい とか ほんとに笑うしかないんだけど