ときには 森田童子を聴きながら
笑いに走る 自分を みつめる
孤独の海の中で
絶望の闇のなかで
心 壊れていった季節の記憶が蘇る
ときには 山崎ハコ の「ひとり唄」を聴きながら
かつて いたことのあるなつかしい心の場所へとまいもどる
生きることに立ちすくみ 声を殺して泣き続けた夜を思いだす
ときには すぎもとまさとの「吾亦紅(われもこう)」を聴きながら
今でも母からみれば親不孝であろうぼくを
自分でちょっとだけ なじってみる
月あかりに誘われて ふらふらと 田舎道を歩いてみた
両手をいっぱいにのばして
空を抱きしめようとするぼく
うん そうしてていいよって 声がする
苦しい時、悲しい時に本当にそうしようとしているのは自分自身なんじゃないかって。。本当はだれも責めてなんかいないのに。。いつの日から自分で自分をいじめるようになったんだろう。。気が付くと、
周りにごめんね。ととにかく謝っているじぶんがいる。自分の存在に自信がなくなる。消えて宇宙の塵となり二度と自分なんか生まれてこなければいいと何度思ったことか。。自分は人を幸せにできるものを、ほんの少しでも持っているのだろうか。生きていてもいいのですかと神様に問いたくなる。でも、何も聞こえない。沈黙の愛。そこに
在りなさい。ただ、ただ、在りなさい。。と感じるの。そこにいることがすでに愛そのものだから。必要だからここにいる。。のかな。。
詩人かっ!?
う~~~ん、本棚の写真を楽しみにしていたのに裏切りやがってぇ~(エ~~~ン)
しかし何気にきれ~なお月様ですね~~
頑張ったそんな亀ちゃんに◎!!
生きてある それはとてつもない奇跡 不思議 神秘
木々のなかにも草のなかにも勿論花のなかにも神秘が宿っている
思いは自他を区別し判断し評価し比較しようとするが
神秘はそんな思惑をとうに超えている
石にさえ不可思議なエネルギーが満ち溢れている
一体誰がそのような創造を可能ならしめているのか
自然や宇宙の更なる進化や拡がりを誰が保障しているのか
エネルギーの進化のプロセスの歴史のなかで精神的にも科学的にも
とてつもなく進んだ存在をかつて神と崇めたてまつったことがある
その神を創造したのはいったいだれ?
ときおり ある のなかにまどろんで おもいめぐらす亀
だからこそ この生身も愛おしい
傷跡は残されていてもそれさえもが愛おしい
と思えるようになったのはそんな昔ではないが
これからも何が起きるか予測もつかないけれど
それでも生きてあるというのはすばらしい賜り物
亀はあるときは詩人 あるときは夜空の星 あるときは野辺の花
(しもべもどき) はいはい してその正体はちゃらんぽらん亀でしょ
え~ん まだいっぱいあるのに~
(しもべもどき) それよか本棚の写真は?
今日載せるとは言ってないでしょ あわてんぼうのしもべちゃん
ありがとうね これでいいんだもんね
あっそうだ 今度 土佐の高知のはりまや橋あたりでみかけたら
チラチラみてナンパするぜよ
あっ、いかん いかんっ!!
育ちがいいのに お下品な言葉遣いをしてしまったゎ。
最近…宇宙が気になる子供達の質問に答えているうちに…
だんだん自分の存在がハナクソみたいに、ちっぽけに思えて来て…
それでも子供達の「それから?」「どうして?」とキラキラ輝く目を見ていると、彼らの中に無限の宇宙を見た気もする
たまにはフワフワしてもいい
亀さんの宇宙も広いんだから
ほ、ほんとに育ちがいいんか?
と、とりあえずそういうことにしとこう
か、亀はな 育ちのよさを隠そう隠そうといくらしても
育ちのよさがでてしまって 残念なとこあるけどな
亀も娘がちっちゃいころ 人間はどうして人間なの?
ネコはどうしてネコなの? どこからきてどこにいくの?って
真顔で質問されて そ、それこそ父さんも知りたいと思っていて
なので どうしてなんやろ~ね 不思議だね~
一緒に探究しようね みたいな返しをしたことがある
不思議や神秘はちょっとやそっとでは手におえない奥深さがあるね