遥かなるピリカヌプリを求めて

ピリカヌプリに行ったので、次は1839!

樺戸連峰 ピンネシリ

2018年09月18日 | 登山:増毛方面
平成30年9月16日(日) くもり ピンネシリと待根山

地震後の3連休に厚真町災害ボランティアセンターへの参加を申請したものの、ニーズを超える応募のため丁寧なお断りがあった。
むかわ町に問い合わせるも状況は同じ。高まっていた気持ちが徐々にしぼんでいった。

その隙間を埋めるため、これまで未踏だったピンネシリに行ってきた。
登山口までの林道が崩壊し、キャンプ場から片道4キロ往復8キロの徒歩が加わり、初級から中級へと難易度を上げている。


(道民の森一番川地区キャンプ場)

早朝自宅を出発し道民の森(一番川地区)に到着してみると、キャンプ場に多くのテントが設置され、ちょうど朝食の準備をしているところだった。
早々に準備し車両通行止めの注意書きに従って出発、ちょっと歩くと最近の車輪の跡、思わず自分はお人善しなのかと疑ってしまったが、
その先のクルマが通行不能な箇所を見て溜飲を下げた。


(元々の登山口、広々とした駐車場がさびしい)

約1時間弱で以前の登山口に到着、改めてここから出発という気持ちで通過した。だらだらとなだらかな尾根を歩き、稜線手前の階段まで来るとガスが一層濃くなってきた。
1段毎だと一向に進まず、2段毎だとバテてくる。足元を見ながら登っているといきなり稜線にでた。


(いよいよ階段のはじまり)


(稜線上に合流、かわいい看板がお出迎え)

残りの標高差150mであるが、稜線おろか10m先も見えない状態で進んでいくと石板(慰霊碑)を発見、さらに進むと三角点と山頂の標識、更に進むとおぼろげにレーダードームが現れた。風が強いのですぐに退散した。


(近づいてやっとレーダードームを確認)

本来なら気持ちのよい稜線歩きなのだろうなと思いながら、待根山まで足を延ばしてから下山した。
下山中に他の登山者(5人、3パーティ)とすれちがった。


(待根山ピークの道案内、隈根尻山方面は登山道が崩れたとかで通行禁止)


(稜線からの下り階段、滑りそうで要注意)

滑りやすい階段は慎重に、なだらかな尾根は若干走り気味、最後の林道はひたすら我慢で昼過ぎに下山を完了、帰り掛けに中小屋温泉で汗を流した。
中小屋温泉の利用は2回目、泉質は良いかもしれないがお湯が温すぎる、石鹸はあるものの1ケ所、貴重品入はほとんど故障で使えず、相変わらず魅力が乏しい温泉という印象であったが、すぐ脇にあるスキー場の施設は気のせいか新しくなっているように感じた。


(GPSログ)

暑寒別岳で山スキー

2016年04月30日 | 登山:増毛方面
平成28年4月24日(日) 晴れ 暑寒別岳

暑寒公園線が開通したので、3年ぶりに日帰りで暑寒別岳に行ってきた。
メンバは、O谷さん、S水さん、M村さん、新しく入会されたHさんと私の5名パーティ、当日は天気に恵まれ最高の登山日和だった。暑寒荘前に6時半頃に集合し7時少し前に暑寒荘前を出発した。我々の先には暑寒荘で前泊した会の別パーティが先行して出発している。


(さあ、出発)


(O谷さん、靴ずれをおして頑張る)

最初は標識の番号を数えながら林道を行く。沢を流れる水の音が春を感じさせてくれる。林道を離れ急坂を登りきると稜線にでる。同じ頃に出発した他の登山者に追い抜かれたり追い越されたりしながら進んでいくと、先行していた会の先発パーティを確認、標高1000付近で追いついた。


(先行パーティを確認)

真っ白い広々とした尾根を登るのは気持ちがよく、帰りのことを考えるとワクワクしてくる。しかし、大斜面に近づくにつれでガスがかかり風も強くなってきた。先行者がスキーアイゼンを装着して登っていき、我々もそれを追いかけるように続いたが、スキーアイゼンなしでは不安があったので、途中でスキーをデポしツボ足でピークを目指した。山頂付近はホワイトアウト状態だったが、多くの登山者の踏み跡に従ってピークに到着した。


(山頂で記念撮影、K下さんも加わる)

直ぐにスキーデポ地点まで戻り、いよいよスキー滑走開始。広々とした斜面を気ままに降りた。他の登山者も多く、斜面はまるでスキー場のようだった。標高を下げるにつれて湿った雪面でスキーが滑らなくなりたいそう難儀したが、なんとか一度も転ばず暑寒荘に戻ることができた。(これが自分のレベル)


(暑寒荘前の駐車場)

暑寒別岳は、三段山に負けず劣らず山スキーのメッカである。



雄冬山(ケマフレ川ルート)

2016年03月23日 | 登山:増毛方面
平成28年3月22日(火) 雄冬山

来道した神奈川のGAKUさんとエバさんなどHYMLの人たち総勢6名で雄冬山に登った。コースは一般的な浜益御殿からではなく日本海側のケマフレ川河口からのバリエーションルート。


(いよいよこれから出発です)

ケマフレ川河口から出発し、オフユ川右二股の源頭付近を通過して広々とした沢形からP1075の手前辺りで稜線に出るコースだが、沢形まで移動するに小さな沢を超えていかなくてはならず、登り返しを最小限にするためのルート取りが難しかった。また、ほぼ海抜からの出発であるため、最初の急坂をハアハア言いながら登り切って標高差がまだ1000mと聞いた時には、目の前が暗くなったが、一歩一歩登ればいつか山頂に着くだろうと気持ちを切り替えた。


(やっと標高300m付近まできました)


(沢にでました、標高600m付近)

コンディションはクラスト化とした表面にうっすらと雪が積もった状態で、ラッセルはないが急登になるとシールによるグリップが利かなくなり、沢形の途中からはスキーアイゼンを装着し、なんとか稜線上まで行き着くことができた。広々とした木の生えていない沢形の標高差600mの登りがこのコースのハイライトで、後ろを振り返るとドカーンと日本海が広がっていた。


(結構な斜度でスキーも限界に近づきつつあります)

稜線に出て1075ポコを越えた先でスキーをデポしアイゼンに履き替えた。いつも使っているプラブーツ用のアイゼンを忘れ、登山靴用のアイゼンを誤って持参したが、靴のサイズに合わせたサイズ調整が簡単にでき事無きを得た。


(ピークに向かう登り、雪庇が危険なので右側斜面をトラバースした)


(GAKUさんを先頭に最後の登り)

雄冬山ピークへの最後の登りでは急斜面のトラバースもあり、滑落しないよう慎重に歩き、GAKUさんを先頭に出発から6時間半で山頂に到着した。まだ真っ白な浜益岳や群別岳の増毛山塊の山並みが美しかった。また、日本海の先には利尻山も確認できた。


(ばんざーい、山頂だ!)

下山はじめはシールをつけ、ルート旗を回収しながらCo1000付近まで下り、そこから沢に向かって滑走を開始した。ところどころに数センチの雪が積もっているものの雪面はほぼクラスト化し、なるべく雪のあるところでターンするのだが、どうしてもスピードがついてしまい、何度もスリップした。木のほとんどない斜面を日本海に向かって滑り降りる感覚はとても気持ちが良かった。


(下山の途中で後ろを振り返る)

帰りは多少の登り返しはあったものの、沢を過ぎた以降は終始なだらかな斜面が続き、ほぼ往路に沿って約2時間で出発地点まで戻った。前泊していたときに吹き荒れていた風がまるで嘘の様に穏やかな一日だった。


(雄冬山ケマフレルートのログ、総行動時間9時間)

群別岳~奥徳富岳周回

2015年05月18日 | 登山:増毛方面
平成27年5月9日(土)~11日(月) 群別岳~奥徳士岳

今年のゴールデンウィークの終わりにGAKU@神奈川さんとエバさんと一緒に群別岳と奥特富岳に行ってきた。
この群別岳はGAKUさんが3年越しに狙っていた山行で、昨年はひとりで挑戦し猛烈な藪漕ぎのため熊ノ平で撤退していて、今年こそはとかける意気込みはすごいものがある。
そのGAKUさんをサポートするエバさんからお誘いを受けたのが4月上旬、喜んで参加表明をしたのはいいが、そんな中で自分が足を引っ張ってしまうのではという心配があった。



GAKUさんと知り合ったのは、自分が登山を始めたばかりの数年前のこと。最初のきっかけは、GAKUさんが遭難事故を起こして死亡した東京理科大の学生とのペテガリ岳山頂での出会いをHYMLに投稿し、その後朝日新聞に掲載された写真の撮影者にIKさんの名前を見つけたのが始まりだった。そのIKさんは自分の東京転勤時代にお世話になった方で、GAKUさんにそれを伝えて、それがきっかけでIKさんとメールを通じた再開となった。メール交換をしながら、いつか一緒に山に行こうというような社交辞令で時間は過ぎていった。



そして突然IKさんが亡くなったという連絡をGAKUさんからいただいたのが第二のきっかけ。GAKUさんと何度かメールを交わし、「いつか一緒に山に行こう」の機会がないままに終わってしまったことがとても残念とお話した。だからといって、じゃあ一緒に行こうということにはならない。

そして第三のきっかけは昨年、自分がエサオマントッタベツ岳に登るためにインターネットで情報収集していた際、エバさんとGAKUさんの山行記事を見つけたこと。エバさんのブログに「GAKUさんと知り合いなんです」とコメントを送ったことから、再びGAKUさんとの距離が急に近づき、昨年秋、北大雪をターゲットに来道したGAKUさんと支湧別岳にご一緒する機会に恵まれた。細い糸が切れずにつながった感慨深い出会いだった。そして今年1月のルック岳新年会で、GAKUさんと共にエバさんともお会いすることができた。



GAKUさんは学生時代から山を始められ、日本300名山に届くほどの豊富な経験をお持ち、特に北海道には何度も来られ日高の山を中心に大方の山を登っている。自分なんかよりもはるかに北海道の山に詳しい。一方、言わずと知れたエバさんは北海道1000m以上のピークを目標に、その様子をHYMLやブログに積極的に情報発信している。



GAKUさんが3年越しに狙っていたのが北のマッターホルン群別岳、年齢的にこれが最後と覚悟を決めて(決してそんなことはないが)臨まれ、エバさんの強力なサポートもあり、無事に群別岳と奥徳富岳に登ることができた。詳しくはヤマレコエバさんのブログをご覧ください。

浜益御殿

2015年04月08日 | 登山:増毛方面
平成27年4月5日(日)晴れのち曇り 浜益御殿(強風撤退)
会のイベントで浜益御殿にスキーで行ってきた。といっても強風のため途中で撤退になったが。
メンバーはスキー12名とスノーシュー2名の大所帯。8時半頃に幌に到着し神社の左側の林道を進むが積雪のため500メートルほどしか入れずそこから出発した。



目指す浜益御殿は片道9kmほどで結構な距離がある。総勢14名は、ピークを目指す班、できる限り頑張ろうという班、それと大阪山ぐらいで十分と思っている班の3グループに分かれて出発した。因みに自分はピークを目指す班ではあったが、少々落ちこぼれ気味であった。



駐車地点からしばらくは緩やかな林道が続き、果樹園側からの林道と合流する辺りから尾根に取りついていく。2年前の連休頃に一人できた時よりは雪は多い。真っ青な空が頭上に広がり、風もなく実に気持ちがよい。約2時間ほどで大阪山の手前に到着し、ピークを左側に巻いていく。

大阪山を過ぎスノーモービル禁止の横断幕の下を進んでいくと単独の登山者がスキーで降りてきた。聞くと強風のため森林限界を超えた辺りから引き返してきたという。その時点ではほとんど風がないため半信半疑であったが、Co800m付近まで来るとやっぱりものすごい強風が吹いていた。100mぐらい先には先行者が頑張っている姿が見えたが、我々はCo840付近で行動停止することとした。



風が弱いところまで降りて休憩していると先行していた登山者も引っ返してきたが、なんとその人は旭川に住む我々の知り合いのKさんだった。我々の山行計画に合わせて来ていたのだった。



後は降りるだけ、シールを剥がして滑走開始するが、徐々に上がってきた気温の関係で雪が緩みコントロールが難しい状態になっていて、変にブレーキが掛かり、木々の間を抜けて行くにも下手をすると衝突するのではという恐れを感じながら降りた。それでも登り返しがないのがうれしい。あっという間に車止めまで戻ることができた。スノーシュー組はそれから30分ぐらいして降りてきた。