今日9月23日は、二十四節気の秋分、春分と同じく太陽が真東から昇り
真西に沈む日、昼と夜の長さがほぼ等しくなるお彼岸の中日ですね!
お彼岸の「彼岸」とは彼方(かなた)の岸、つまり向こうの岸のことで、
悟りや浄土の世界を意味しています。
仏教でいう極楽浄土は真西の方向にあるとされており、その方向が
はっきりと分かる日でもあります。
「彼岸(ひがん)」とは、「此岸(しがん)」に対する言葉で、ともに語源は
仏教からです。
彼岸とは向こう岸、すなわちあの世の事で、春分の日・秋分の日は、
真西へ沈む夕日に 極楽浄土を念じて「彼岸の日」と呼ぶようになった
ようです。
「此岸」(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では
「娑婆(しゃば)世界」とも いわれます。
「娑婆」とは、昔のインドの言葉で、「堪忍土(かんにんど)」と訳されます。
つまり、私たちの住むこの此岸「娑婆世界」は、「耐え忍ぶ世界」という
ことなんですね。。(@_@)
たしかに、人生には耐え忍ばねばならぬことが 多くありますね!
たとえ、生活上の苦しみが さほど 激しくは なくても、いつの時代でも、
どこの国に住む人にも 避けて通れないのが、人間関係の苦しみでは
ないでしょうか?。
二人以上の人間が集まれば、互いに「ああしたい」「こうしたい」の
欲望がぶつかり合って、その調整に苦しみ、時に、争いも生じます。。
また、肉体も「老い」や「病」との格闘が常に強いられる人生ですから、
私たちの住むこの「此岸」は、まさに「堪忍土」と言えるのでは。。
2600年の昔、「人生は苦なり!」と喝破されたブッダの言葉にも、
なるほどと、うなずかずにおれません。。
ところで、いづれは私たちも三途の川を渡って、此岸(この世)から、
彼岸(あの世)へと逝くわけですが・・
その際、あの世には持っていけない地位や権力、お金や財産、肉体
や生に対する執着や未練が強すぎると・・・
その執着の重さに引かれて、三途の川をうまく渡ることが出来ずに、
途中で川底(地獄)に沈んでしまうという話を聞いたことがあります。。
すんなりと、彼岸(あの世、極楽浄土)へ渡って行くためには・・・
出来るだけ、それらに対する執着や未練を手放し、断捨離して身軽に
なる必要がありますが・・・
誰でも簡単にそれが出来たら苦労はないのですが・・・
なかなか難しい話ですね~ (^_^;)。。。
昨日の夕焼け空。

ススキと夕焼け雲。

昨日の夕月(月齢12.4)
