庭先の四季

庭先や近隣の四季の変化や歳時記、自然観察、動植物等を中心に
綴ります。

紅い彼岸花と幻日

2024-09-25 09:13:58 | 日記・エッセイ・コラム

今日で秋の彼岸明けとなるが、彼岸入り前は残暑が厳しくて
開花が遅れていた彼岸花も、このところの気温低下で急に涼
しくなってきて一斉に咲きだしたようだ。

因みに彼岸花の開花温度は20度~25度とされているので、
涼しくならないと咲かない。

散歩道の水辺に咲き出した彼岸花。

秋の彼岸に間に合って良かった!。

 

昨日の夕方散歩の帰り道で久しぶりで幻日を見た。

幻日とは、太陽の横の薄い雲が彩雲のように輝いて小さな
太陽がもう一つ輝いているかのように見える現象。

実際の太陽は、見えてませんが画像の左側にあります。

この幻日は数分後には消えてしまった。

 

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夜半の月と今朝の半月

2024-09-24 09:43:58 | 日記・エッセイ・コラム

昨日あたりから急に涼しくなって秋らしくなってきた。

昨夜は夜半に目覚めると、窓から冷たい風が吹き込んで
いたので、窓を閉めようと夜空を見上げると綺麗な半月
が浮かんでいた。

昨夜の半月(齢20.0)。

 

半月の右下には木星も輝いていた。

 

今朝の庭先で撮った白い半月(月齢20.0)。

明日25日が下弦の月になります。

 

庭で今朝咲いたばかりでまだ素面、真っ白な酔芙蓉の花。

今日は気温が低いので、なかなか酔いが回らずに

色付く時間も遅くなりそう・・

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「秋の声」バッタたち

2024-09-23 09:08:35 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の秋分の日を過ぎて、今朝は雨も降って急に涼しくなり気温も
25度以下となって、漸く秋の訪れを実感します。

毎年今頃になると空の色や雲の変化に加え、木の葉が風に吹かれて
そよぐ音、遠くから聴こえてくる虫しぐれの音など・・

夏の間は猛暑・酷暑に翻弄されて耳を傾けるゆとりもなく、気付か
なかったかすかな音も聴こえて来るようになります。

涼気がしだいに増してくるにつれて、こうした自然の風物がささや
きかける声も、耳にしみ入るように入ってくる。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる
                                                   <古今和歌集 藤原敏行>

秋の澄み切った空気は音までも澄んで響いてくるような気がします。

秋の声」は、そんな秋の澄みわたる自然の気配を感じる言葉です。

今日の画像は秋の散歩で出合った、バッタたちをアップします。

ハネナガイナゴ。

 

ツチイナゴの子供。

ツチイナゴの成虫。

 

オンブバッタ、交尾の為♀の背中にしがみつく♂。

 

コメント (2)
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秋分の日~彼岸と此岸

2024-09-22 10:15:38 | 日記・エッセイ・コラム

今日9月22日は、二十四節気の秋分、春分と同じく太陽が真東か
ら昇り真西に沈む日、昼と夜の長さがほぼ等しくなる「秋分の日
お彼岸の中日です。

極楽浄土は真西の方向にあるとされており、その方向がはっきり
と分かる日でもあります。

彼岸(ひがん)」とは、「此岸(しがん)」に対する言葉で、
ともに語源は仏教からです。

彼岸とは向こう岸、すなわちあの世の事で、春分と秋分の日は真西へ沈む
夕日に 極楽浄土を念じて「彼岸の日」と呼ぶようになったようです。

此岸(こちらの岸)とは、私たちの住むこの世界のことで娑婆(しゃば)
世界とも いわれます。

娑婆」とは、昔のインドの言葉で「堪忍土(かんにんど)」と訳されます。

つまり私たちの住むこの此岸である娑婆世界は、堪忍土「耐え忍ぶ世界」と
いうことなんですね。(@_@)。。

この此岸の娑婆世界は元々仮の世で、人の魂はこの世とあの世を輪廻転生を
繰り返しながら、進化していくものとじーさん的には思っています。

この世での肉体寿命は、せいぜい80年プラスα位ですが、肉体の無いあの世
では個々の魂の進化のレベルによっては、何百年もこの世に生まれ変わって
こない場合もあると聞いています。

この世はある意味魂の修行場の学校のようなもので、それぞれが前世、過去世
において積み重ねたカルマ(業)の刈り取り修正のための課題を持ってうまれ、
その課題の修正に相応しい環境や親、兄弟などを選んで生まれ替わってくると
も言われています。

世間一般では、親は選べない「親ガチャ」などと言われていますが・・

じーさん的に言わせてもらえば、人はそれぞれ今世の課題をクリアするために、
それに相応しい親や環境を選んで生まれ替わってくるのだと思います。

今世において、無事にその課題をクリアできたのかどうかは、あの世に帰った
時に試される事になると言われています。

もし失敗した場合は、再び同じ課題を持って生まれ変わって、再チャレンジ
することになります。

まあこんなことは、もちろん学校や一般社会では教えてくれないので・・

あの世なんか無い、人は死んだらすべて終わりだと信じている人も多いとは
思いますが・・・ こればっかりは、

死んでみないと分からない?ので、死んでからのお楽しみですかね(笑)。

庭で咲くちょうどいい加減に酔って色づく酔芙蓉の花。

 

秋空に向かって咲くブットレアの花。

 

アサガオ。

 

庭に来たシオカラトンボ。

 

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夕方散歩で観るダイアモンド富士

2024-09-21 10:15:38 | 日記・エッセイ・コラム

この辺りでは春の春分と、秋の秋分の日の前後の1週間くらいの間は、
富士山の周辺に夕日が沈むので富士に沈む夕日を観るのを楽みにして
いるのだが・・

しかし、空気が澄んで晴天の続く冬場には毎日の様に見える富士山も、
季節の変わり目の今頃は秋の長雨などで天候が崩れたりして、条件が
良くないとなかなか姿を見せなくなってしまう・・

特に富士山の山頂付近に夕日が沈むダイアモンド富士は、1日か2日
の間しかチャンスがないので、その日に良い条件に恵まれないと観る
事が出来ない。

昨日は、秋の彼岸なのに日中は猛暑日まであと一歩の35度近くまで
気温が上がり暑かったが、良く晴れたのでダイアモンド富士が観られ
るかと期待しながら夕方散歩に出かけてきた。

富士の周辺には雲が架かっていたが、どうにか山頂付近は見えた。

富士山頂に沈む夕陽、ダイアモンド富士。

光が強すぎて夕陽の形がはっきり写らなかった。

雲が多くて今一つだったが・・

何とか観られて良かった♪。

何となくもの悲しさを感じる秋の夕暮れ。

これから秋~冬場に向かって、夕方散歩で撮る夕陽や
夕焼け富士などの掲載も多くなります。

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