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ヘイトスピーチを野放しにする寓

2013年04月05日 | くまじろうの一言コラム
 東洋経済オンラインのグローバルエリートは見た!から転載しています。

一方、国際派の日本人も確実に増加している

しかしながら一方、これと正反対の国際的な日本人も増えている。私の知っている日本の友人は極めて親切で礼儀正しく、外国人との交流を積極的に図っている人が大半だ。

私の来日時、講演に招かれて交流した日本の高校生は、非常に国際志向で日本と国際社会の絆を強めようという明るい希望にあふれていた。私の周囲にいる日本人でも、極端に排外的なことを言う人はおらず、真っ当な知識と視点と常識を持っている人は、日本の進むべき道が対外開放・国際交流の推進であることを知っている。

彼らは日本という国をよりよくし、海外から尊敬を受ける開かれた、魅力のある国にしようと、諸外国と協力しながら日々汗を流している。

私は日本に長年住み、友人も日本人が多く、日本のいいところも悪いところも海外各国と比較してよくわかっているつもりだ。大切な国がよりよい社会へと発展していってほしいからこそ、愛情をもって率直に申し上げさせていただいた。

これらヘイトスピーチ参加者が熱烈に支持しているのが、安倍首相であるだけに、首相の責任は重い。そして野蛮なヘイトスピーチ を放置することが海外からどう思われるか、親愛なる読者の皆様にぜひご一考願いたい。

「何々人を皆殺しにせよ!!」「ガス室に送れ!!」となどと叫び散らしながら首都を練り歩きつつ、世界平和祭典オリンピックを招致しようと頑張っている先進国は、日本しかないのだから。


おわり
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ドイツと日本の違い

2013年04月05日 | くまじろうの一言コラム
 東洋経済オンラインのグローバルエリートは見た!から転載しています。

 ヘイトスピーチの先にあるもの

日本ではタブー視されて意図的に教えられていないが、平頂山事件、シンガポール大虐殺、台湾人・オランダ人従軍慰安婦強制連行、3・1運動虐殺、関東大震災時の在日朝鮮人虐殺、朝鮮王朝の明成皇后虐殺など、戦前はまさに虐殺事件のオンパレードだった(ネットで調べていただければいろいろ出てくると思うが、枝葉をつついてわーわー言うのではなく、全体を俯瞰した大局をつかむことが大切だ)。

その蛮行の背景には、それらを心理的に正当化するための諸外国への不当な差別意識の醸成が行われていたことがある。例えば冒頭で紹介したヘイトスピーチのように、隣国の人々をゴキブリと呼び、絞め殺せと叫ぶことを容認することで、さまざまな蛮行の前提条件をつくったわけだ。旧日本軍の731部隊のような生きている中国人への人体実験では相手を人間と思えばできないので、丸太と呼んでいたのは有名な話である。

過去を教えたドイツと、タブー視した日本

 近、ドイツ人の友人(冒頭で話した、カルフールで買ったミキサーを直してくれた女性エンジニア)と話したとき聞いたのだが、ドイツでは小学生でもナチスの行為やガス室の歴史に胸を痛め、歴史の暗部として恥に思っている。またネオナチのような過去のユダヤ人虐殺を否定するような言動は、表現の自由ではなくヘイトクライムとして法律で禁じることで、制度的に歴史の教訓が生かされるようになっている。

これに対し日本では残念ながらタブー視することが選ばれ、ここで書いたような海外では常識的な事件も学校やメディアでは無視するか、表層をなぞるだけである(加えて枝葉をつついて全体否定に持ち込む詭弁がまかり通っている)。ちなみに日本自身がホロコーストを行っていたナチスドイツの有力な同盟国だったことはすっかり抜け落ちており、戦争の悲惨さを語るときはいつも東京大空襲や原爆投下を引き合いに出し、まれに見る残虐さを見せた旧日本軍が行ったことは、暗黙の了解で具体的には触れられない。そんなタブー感は一切無視して、グローバルエリートはさらりと書かせていただこう。

 戦後70年経って、「不逞鮮人を皆殺しにしろ!」などというヘイトスピーチが日本の首都で白昼堂々とすさまじい規模で横行しているのだから、過去を繰り返さない、という言葉が制度的に実践されていないことが明らかだ。このような現状で「侵略の過去を反省している」と海外で謝ったところで、言行不一致として不信感を招くだけであるし、また何より、善良な大多数の日本人の国際イメージを著しく毀損している。

つづく
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戦後歴史教育の失敗

2013年04月05日 | くまじろうの一言コラム
 東洋経済オンラインのグローバルエリートは見た!から転載しています。

国際志向の日本人と、排外主義に退化する日本人
 さて、日本では最近外国人に、特にアジア各国に強硬に出れば愛国的ともてはやされる傾向にあり、それにモノ申せば非国民扱いされるのでメディアで発言しにくい空気が強まっている。

たとえば私が子供の頃は過酷な侵略戦争や南京大虐殺、731部隊の行為などに対し、日本側でも当事者で覚えていた人も多かったからか、まさか否定するような言説はなく、しかしながら積極的に教えられるでもなく、タブー視することが選ばれていた。しかし今や、これらの言葉を語るだけで“反日活動家”扱いだ。このコラムは必ずや大炎上し、私はいわゆる“マジキチ”扱いされながら2チャンネルを漂流することになるだろう。

政治家もメディアもこれらの不穏な空気に触れないようにしている。そこで、まったく空気を読まない、フランス在住のグローバルエリートがズバリ言わせていただこう。この危険な空気の蔓延は、戦前の凄惨な侵略行為からの教訓を伝えてこなかった、日本の戦後歴史教育の明確な失敗を意味する。

つづく
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グローバルエリートは見た!

2013年04月05日 | くまじろうの一言コラム
 東洋経済オンラインのグローバルエリートは見た!から転載しています。

戦前並みの“排外主義者”にモノ申す

 これで東京オリンピックが来るわけない


 皆さん、お元気ですか? 私は今、フランスのおうちでトマトジュースを作ろうとしたところ、カルフールの安物だったためか壊れていて困っていた。しかしドイツ人のエンジニアの友人が傍にいたので頼むと、みるみる直してくれて、無事、トマトジュースをたくさん飲んでいる。

さて、最近、日本のインターネットを見ていると、“韓国人をたたき出せ” “殺せ” “だけどムーギー・キムだけは日本に居とどまってくれ” などと連呼するヘイトスピーチが新大久保の一部で横行しているらしい(編集部注:最後のひとつだけウソです)。しかもネットの記事を読んでいると、相当深刻な事態になってきているようだ。

Youtubeでヘイトスピーチ会合のもようや諸々の関連動画を見ていると、朝鮮人を皆殺しにしろ、絞め殺せ、ガス室に送れ、などと大声を張り上げて都内を大勢で練り歩いている。これでは私はいくら命があっても足りなそうだ。

私が日本に住んでいた頃は、韓国料理とか韓流グッズに若いお姉さんから若くないお婆さんまで殺到し、和気あいあいとにぎわっていただけに、今やネットから飛び出てきた物騒な人たちのたまり場になってるのだとしたら、残念なかぎりである。

ただし、外国人に対して狂信的に排外的な態度をとる人は、どこの国でも不況になると増える。その多くは社会的なポジションが不遇で不満な多く、その矛先が外国人だった、という展開なのだが、最近、私の友人にそれぞれの出身国の社会問題を聞いてみたところ、不況にあえぐオランダ人もポルトガル人もフランス人も移民に対する排外的態度が心配だ、と異口同音に言っていた。

しかし日本との大きな違いは、このような野蛮なヘイトスピーチはドイツなどでは法律で禁止して取り締まっているが、日本では表現の自由という表現で野放しにされている点だ。

特定の民族を皆殺しにしろ、と叫びながら街中を日章旗掲げて行進している実態が世界に知れたとき、皆さんおよび世界の人々はどう思うだろうか。政府の無策の原因が何なのか不明だが、いつものように殺人が起こって非難されるまで無策を通すのか、それとも再軍備を含むタカ派政策の推進に有利だとでも思っているのだろうか。

本問題は日本の方向性と国際的イメージを大きく左右する問題である。親愛なる「東洋経済オンライン」読者の皆様のご子息が将来どのような日本に住むのか、という問題意識をもって一緒にお考えいただけければ幸いだ。


それにしても右翼団体の街宣車にしてもそうだが、なぜあの耳をつんざくような大音量で謎の音楽を鳴らしながら罵詈雑言を叫び散らすのが合法的なのか。人道的・道徳的に日本の恥になっているのはもちろんのこと、ここだけの話、選曲も相当ひどい。

できれば街宣車は廃止にしてほしいが、それが無理なら、せめて流す音楽を私の好きな少女時代やT-araのK-popにしてくれないだろうか。


つづく
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定数削減と国民主権

2013年04月05日 | 憲法を生活に生かそう


「30だ、50だ、80だ、えーい半減だ」、バナナのたたき売りのごとく、国会議員の定数削減を叫ぶ声が聞こえています。消費増税をお願いするのだから、議員も身を削るべき、一見至極まっとうな主張のように聞こえますが、国会議員の職責とはなんでしょうか。

 憲法前文冒頭には「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」、四十三条には、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」とあります。国会議員は国民の代表者です。定数削減とは、主権者たる国民の代表者の数を減らすことにほかなりません。それは立法府の力を削ぎ、多様な意見が国政に届かなくなることにつながります。
 アメリカ独立戦争の際のスローガンは「代表なくして課税なし」です。増税する代わりに国会議員を減らすのは、このスローガンと真逆ではないでしょうか。
(2013年4月5日 社民党政審会長代理 衆議院議員 吉川元)<17>
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