11月08日 (日曜日) 雨![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rain_sim.gif)
雨で足元の悪い中11月1日に行った防災運動会の反省会が
12時から37名の役員で行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/a9/d947e1b608ec84019f2395f4ff538d17_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5f/dca19d1d58c355115b5762db0efbf6d5.jpg)
会場がとれず今回は自治会館をお借りする。
本当に軽食と缶ビールで済ませて・・・・
各氏から意見が沢山でた。
メモをとっておいた。次回の開催に参考になりそうだ。
おおむね成功だったが幾つか取り入れないといけないこともありそうだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a4/f7f68f6f6968b4c8ff230148e56e5131.jpg)
なお当日のDVDをTさんが焼いてきてくれたので
各会長に配布出来た。
ーーーーーーーーーーー
こんな雨の日はどこにも出られないので・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
新聞かTVかPCで
記事に・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
江戸の火付け(放火)は火あぶりの刑と決まっていた。
強欲な帯屋に大金を貸したのが因縁で没落した呉服屋・与兵衛、
さらに帯屋の策略で火付けの罪に問われる。
落語「帯久(おびきゅう)」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/dd/dd85ab4b639943f2bdb782c88d3b90f5_s.jpg)
いよいよ裁きの場となるわけだが、与兵衛を追い詰めたつもりが一転、
帯屋は10年前に借りた100両を返していないことを自白させられる。
さらに利子50両の支払いを命じられ、毎年1両ずつの分割払いを願い出るはめになる。
町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)、
全額返済されるまで与兵衛の火あぶりを延ばすとの裁きを下す。
江戸の大火を防ぐため火付けを極刑とした法の秩序を守りつつ、
61歳の与兵衛に50年先まで刑を執行しない、つまり実質的に赦免する温情判決だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とりあえず死罪を免れた与兵衛が残された人生をどう送ったのか、
気に掛かる。
静かに隠居していたとも思えない。
当時の人々は高齢になってもよく働いたからだ。
幕臣や諸藩の武士の多くは70歳を過ぎるまで
老齢を理由とする隠居は認められなかったという。
定年退職の制度は大正のころに始まったそうで、
1970年代までは55歳が普通だった。
ーーーー
現在、政府は企業に65歳までの雇用安定を義務付け、
さらに雇用保険の65歳以上への適用を検討している。
早晩、年金支給開始年齢の引き上げも論議されることになろう。
現代の私たちが直面している少子高齢化の難題ではあるが、
大岡越前が聞いたら苦笑するかもしれない。
格上の寺社奉行へ出世したのが60歳、
知行高が1万石に加増され大名になったのは72歳。
将軍吉宗公の葬儀を取り仕切った年に75歳で
亡くなるまで生涯現役を貫いた人なのだ。
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雨で足元の悪い中11月1日に行った防災運動会の反省会が
12時から37名の役員で行われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2a/a9/d947e1b608ec84019f2395f4ff538d17_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/5f/dca19d1d58c355115b5762db0efbf6d5.jpg)
会場がとれず今回は自治会館をお借りする。
本当に軽食と缶ビールで済ませて・・・・
各氏から意見が沢山でた。
メモをとっておいた。次回の開催に参考になりそうだ。
おおむね成功だったが幾つか取り入れないといけないこともありそうだ!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/a4/f7f68f6f6968b4c8ff230148e56e5131.jpg)
なお当日のDVDをTさんが焼いてきてくれたので
各会長に配布出来た。
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こんな雨の日はどこにも出られないので・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_cry.gif)
新聞かTVかPCで
記事に・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book.gif)
江戸の火付け(放火)は火あぶりの刑と決まっていた。
強欲な帯屋に大金を貸したのが因縁で没落した呉服屋・与兵衛、
さらに帯屋の策略で火付けの罪に問われる。
落語「帯久(おびきゅう)」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/dd/dd85ab4b639943f2bdb782c88d3b90f5_s.jpg)
いよいよ裁きの場となるわけだが、与兵衛を追い詰めたつもりが一転、
帯屋は10年前に借りた100両を返していないことを自白させられる。
さらに利子50両の支払いを命じられ、毎年1両ずつの分割払いを願い出るはめになる。
町奉行の大岡越前守忠相(ただすけ)、
全額返済されるまで与兵衛の火あぶりを延ばすとの裁きを下す。
江戸の大火を防ぐため火付けを極刑とした法の秩序を守りつつ、
61歳の与兵衛に50年先まで刑を執行しない、つまり実質的に赦免する温情判決だ。
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とりあえず死罪を免れた与兵衛が残された人生をどう送ったのか、
気に掛かる。
静かに隠居していたとも思えない。
当時の人々は高齢になってもよく働いたからだ。
幕臣や諸藩の武士の多くは70歳を過ぎるまで
老齢を理由とする隠居は認められなかったという。
定年退職の制度は大正のころに始まったそうで、
1970年代までは55歳が普通だった。
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現在、政府は企業に65歳までの雇用安定を義務付け、
さらに雇用保険の65歳以上への適用を検討している。
早晩、年金支給開始年齢の引き上げも論議されることになろう。
現代の私たちが直面している少子高齢化の難題ではあるが、
大岡越前が聞いたら苦笑するかもしれない。
格上の寺社奉行へ出世したのが60歳、
知行高が1万石に加増され大名になったのは72歳。
将軍吉宗公の葬儀を取り仕切った年に75歳で
亡くなるまで生涯現役を貫いた人なのだ。
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