ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

前向きに生きています。
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周りの人たちを、元気にできる自分でいたい。

長男の留学(12)

2023年02月19日 | 留学
1997年の3月末、 小学校を卒業した12歳の長男はシドニーへ留学するため日本を経ちました。 彼のシドニーでの留学期間は、UTS(シドニー工科大学)を卒業するまで11年に及びました。 かれこれ25年前の話です。

小学校を卒業した長男と2人でシドニーへ行ったのは3月末
私のシドニーでの1週間の滞在はあっという間だった。
後ろ髪引かれる思いで帰国した私も、そうそう泣いてばかりいられない。

当時、次男は小学校4年生、三男は3年生だった。
    
夫は仕事を二つ抱える身でいつも忙しい。
その上、その頃どうしてもなり手がいないからと
この町の自治会に泣きつかれた夫は、自治会長を引き受ける羽目になってしまったのだ。

わたしはというと、くじ運が悪いというか、当たりくじを引いて、小学校のPTAの委員をやる羽目に。
その上、子供会の役まで回って来てしまった。

私たちはこれから、二人が交代で二ヶ月に一度の割合で、シドニーの息子に会いに行く事を息子と約束してたが、しばらくはもっと頻繁に行く事も考えていた。
 
かなりハードスケジュールだ。
   
会社を抱える夫が行くときは、わたしに負担が、

手のかかる息子二人を抱えるわたしが行くときは、夫に負担が、の覚悟である。

夫は一ヵ月もたたない4月の半ば、様子を見に行った。
    
私は6月の初めに、長男
に会いに行った。
    
わたしたちのこうしたこれからの生活は、周りの友人、シドニーにいる友人の協力なしではやっていけなかった。

友人たちに、どれ程支えてもらった事か。

とにかく、息子のシドニーでの生活は始まったのだ。
そして日本では、長男のいない生活が始まった。
英語の勉強をしていないため、英語が話せない彼は、これから半年から一年の間、英語を学ぶ学校へ通うのだ。

長男と私達は、お互いの安否を気遣いながら、
ほぼ毎日、ファックスでの手紙のやり取りをはじめた。
当時、わたしは長男に短くてもいいから、日記をつけてみなさいと言った。

彼のファックスは、いわば日記の代りのようなものでもあった。

まだ、パソコンを触わっていなかったこの時期が、
息子にとっても、家族にとっても、とてもつらい時期だったのだ。
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