大阪の公園で暮らす「ホームレス」の人が公園を住所として、住民登録を申請したが、認められず裁判となった。大阪地裁の判決は大阪市に「認めなさい」というものであった。国や県市町村の存在も住民のためにある。憲法も生存権は権利として認めている。大阪市も市の存在意義の為に住民を無視するのは、市の存在意義を否定するものになるでしょう。公園を住所にするのは言語道断でしょうが、健康で平和的な生活を実現する為の施策をなにもしてこなかった感じもする。明日、靭公園で「ホームレス」を「バラ博」の為に強制排除しようとしている。収容施設は、3~6ヶ月の期限付きです。こんな短い期間で自立を促すとは行政は冷たいものです。
生活保護の運用も偏っていて、裕福そうな人が恩恵に預かっていたり、病んだ貧しいひとには行き渡らないようです。
行政単位がだんだん大きくなり(市町村合併)、行政は住民を無視するようになった。同時に隣人愛もなくなった。(ピアノ騒音、犬騒音、騒音オバサン、カレー毒殺・・など枚挙に暇がない)
つい4~50年前は、小さな単位の集落は、皆んな顔見知りであった。食べ物を分け合ったり、旅行などすれば、おみやげは必須のようだった。小さい村が平成の合併に背を向けて、独自の歩みで住民サービスをうたっているのはうれしいです。役場の職員の給与をさげても雇用を増やしたり(大分の漁村)、合併によって、高齢の進んだ地域を守ろうとしているのはうれしい。岡山の山村なんて、中心部まで25kmもあればどうやって、住民サービスを守れましょう。西粟倉村は合併に背を向けました。学校も統合の名の下に荒れてきた実績がある。
生活保護の運用も偏っていて、裕福そうな人が恩恵に預かっていたり、病んだ貧しいひとには行き渡らないようです。
行政単位がだんだん大きくなり(市町村合併)、行政は住民を無視するようになった。同時に隣人愛もなくなった。(ピアノ騒音、犬騒音、騒音オバサン、カレー毒殺・・など枚挙に暇がない)
つい4~50年前は、小さな単位の集落は、皆んな顔見知りであった。食べ物を分け合ったり、旅行などすれば、おみやげは必須のようだった。小さい村が平成の合併に背を向けて、独自の歩みで住民サービスをうたっているのはうれしいです。役場の職員の給与をさげても雇用を増やしたり(大分の漁村)、合併によって、高齢の進んだ地域を守ろうとしているのはうれしい。岡山の山村なんて、中心部まで25kmもあればどうやって、住民サービスを守れましょう。西粟倉村は合併に背を向けました。学校も統合の名の下に荒れてきた実績がある。