今日、別詞堂法要に行った。(真宗大谷派)
「おとき膳」のあと「法話」があった。
若い布教使の法話であった。家族などの話が大部分を占めて聞きたくない話であった。まだしも、飲みに行く話しなどもあり、どうかなと思った。
もう、お迎えが近い年齢ともなると、「浄土」とか「救われるには」とか「残りの人生如何に生きるべきか」とか歎異抄の一部でも引用して導いて欲しかったなあ!
屈折した心を癒すには物足りないが、「論語」の難解さに接してまどろんだところだ。
「おとき膳」のあと「法話」があった。
若い布教使の法話であった。家族などの話が大部分を占めて聞きたくない話であった。まだしも、飲みに行く話しなどもあり、どうかなと思った。
もう、お迎えが近い年齢ともなると、「浄土」とか「救われるには」とか「残りの人生如何に生きるべきか」とか歎異抄の一部でも引用して導いて欲しかったなあ!
屈折した心を癒すには物足りないが、「論語」の難解さに接してまどろんだところだ。