昭和38年~39年(1964~1965)の頃だったと思う。
銀座は若者の街だった。
最先端のファッションを求めて、とんでもない風俗が流行った。「ダスターコート」が終わると、銀座に、なんと黒いビニールを身に纏う10代の女性が闊歩しだした「みゆき族」。である。
田舎者の筆者は、ビートルズ来日によってもたらされた「マッシュルームカット(ビートルズカット)」や「007は殺しの番号」などの衝撃に圧倒されて、やっと、そんな頭にしていたのに・・・、次々に現れる風俗は、「東京オリンピック」の好景気が、それを許したのかも知れない。
そこ(東京)で、職を得たものの・・・やがて故郷に帰る・・・こととなる時代であった。
「ダスターコート」:歌手の水原弘が着たことで10代に大流行した防水加工された「ハーフコート」。本当は、アメリカの清掃車の人がゴミ除けに着ていたものの亜流。ジーパン(ジーンズ)も同様であった。
「みゆき族」:銀座のみゆき通りを闊歩した若者が独特の衣装を身にまとっていたことから、「みゆき族」と称した。
銀座は若者の街だった。
最先端のファッションを求めて、とんでもない風俗が流行った。「ダスターコート」が終わると、銀座に、なんと黒いビニールを身に纏う10代の女性が闊歩しだした「みゆき族」。である。
田舎者の筆者は、ビートルズ来日によってもたらされた「マッシュルームカット(ビートルズカット)」や「007は殺しの番号」などの衝撃に圧倒されて、やっと、そんな頭にしていたのに・・・、次々に現れる風俗は、「東京オリンピック」の好景気が、それを許したのかも知れない。
そこ(東京)で、職を得たものの・・・やがて故郷に帰る・・・こととなる時代であった。
「ダスターコート」:歌手の水原弘が着たことで10代に大流行した防水加工された「ハーフコート」。本当は、アメリカの清掃車の人がゴミ除けに着ていたものの亜流。ジーパン(ジーンズ)も同様であった。
「みゆき族」:銀座のみゆき通りを闊歩した若者が独特の衣装を身にまとっていたことから、「みゆき族」と称した。